一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨによる個人ブログ©️KAYO ASAI
連載第9回「週刊モガ」 蘇れ日本のモボ
御無沙汰致して居ります。
自宅のコンピュウタア囘線が
突然繋がらなくなりまして、
復舊に時間が掛かつて仕舞ひました。
國際電網カフヱーへも
出掛けまして更新を試みましたが、
人口皮革の上からは
妙な汗が出る許りで、
滿足な更新が出來ませんでした。
本日やつと復舊致しましたので
「週刊モガ」の更新をさせて戴きます。
此れでは、「週刊モガ」ではなく
「週刊モガク」であります。
毎週、もがくモガです。
決して、「週刊クモガクレ」と成つて
火曜日更新から
逃げ囘つてゐるわけでは御坐いません。
因に國際電網が繋がらなくなりますと、
音声による情報網は、眞空管ラヂヲと
4號自動式黒電話のみであります。
最近、急に寒くなりましたネ。我が家には
日本大正村にて贖入致しましたとても素的な
モガモボ柄の暖簾が飾られて居りますの。
然し、恐ろしい事に家中の窓を閉めて
居るにも關はらず、其れが目の前でゆらゆらと
動いて居るのであります。
そして、もつと恐ろしい事に窓硝子と窓枠の
間には隙間があり、
最も恐ろしい事に、
外が見えるのであります。
此の樣な家の利點と致しましては、換氣を
余りしないでも火鉢が使へると言ふことです。
然し、火鉢はまだ時期的に早い氣が致しますので、
今晩は蝋燭を3本燈して
暖を取り乍ら御話を進め度いと思ひます。
部屋にある大正時代の電笠には、
エジソン型浪漫球の20ワットを取り附けて居ります。
此の明るさですと、夜に蓄音機の針をSP盤に
掛ける時、蝋燭などを使はないと
盤が見え辛いと云ふ苦惱はありますが、
これが最も落ち着く灯りです。
まづは先日、近所で散歩をした時の御話をしませう。
殆ど歩いた事のない踏み切りを渡り、
馴染みのない商店街へ何となく歩き始めました。
まづは、肉屋でハムカツを買ひ
和菓子屋で好物の酒まんじゆうを買ひました。
疉屋の軒先には、綺麗な薄紫色の疉と
廢材で作られたやや履き難さうな下駄が一足
賣られてゐました。なかなか面白いので、
買ふと云ふと、店の小母さんが
賣れた事に非常に驚き、
今奧で履いて居るもう一足も
賣り物ですからお見せしませう、と云ひました。
其れは見るだけにして、軒先の下駄を
持ち歸る事にしました。
小母さんは、此の下駄は前にも
賣れた事があり、お客さんは履かないで
玄關に飾つて呉れたと、何故か嬉しさうに
云ふのでした。
其れから、小さな古本屋を見つけたので
ワクワク し乍ら中へと入りました。
氣に成る本を見つけましたが、
奧附けに値段がないので、店主に尋ねました。
店主「うちは殆どの本を
國際電網(インタアネツト)で
同時販賣してゐるから、
此れから此の本の値段を
コンピユウタアで調べませう。」
をかしな店だなと思つて待つて居りました。
店主「御客さんは古本が好きな人でせうね。」
淺井「え。」
店主「90パーセントの客が、
此の樣な本を手に取りません。
だからうちは商賣が成り立たないのです。」
其の本とは、
昭和4年發行の「九條武子夫人書簡集」でした。
當時、増刷を繰り返した本です。
大正三美人の一人と云はれた
九條武子夫人の云ひ囘しや、
當時の學習の一環として贖入し度いと
思ひました。
私にとつては、實用書です。
當時、1圓50錢で賣られてゐた本で
今は、1500圓だと云ふことでした。
其の後店主は、最近の大手新古書店の批判を繰り返し
呪文の樣に云つてゐました。私は其れに頷きました。
あれらの店が、古書店の良い所を全て潰してしまつた、、、。
立ち讀みを奬勵し、本の扱ひ方を心得ない客を増やした、、、。
Barcodeの無い本に値を附けない事が多く
古書がどんどん無くなつていく、、、。
買ひ取らずに引き取つた本の表紙にわざと大きく
印を書いて、再び賣れない樣にしてしまふ店舖もある、、、。
以前の私は、本屋で長時間の立ち讀みをしてゐましたが
現在は其れをやめました。其の行爲に
罪惡感を持たなかつたのですが、考へを改めました。
本屋で少しだけ中身を確認させて貰ふことはありますが
じつくり讀み込んでしまふことはありません。
本當に本を支持し度いのであれば
其れを買ふべきです。
又は圖書館で讀むべきです。
本の立ち讀みを長くし度いのは、
單に得をし度いからだと私は思ひます。
コンビニエンス・ストアーが苦手で
なるべく入り度くない理由の一つは、
人々が何の躊躇もなく
窓際の目立つ場所で本を立ち讀みしてゐる事に
大きな違和感を覺えるからです。
人樣の店に於いて、
本來價値がある筈だつた本を立ち讀みし、
また其れを普通に戻し、何事もなかつたかの樣に
店を後にすると云ふ行爲。
又は、他に買ひ物をしたからいいだらうと
開き直る。
こんな行爲が許されていいのかと思つてしまひます。
世間が許しても、私自身が私を許しません。
此れは、自分の美意識に反すると考へ
現在は一切長時間の立ち讀みをしない事にして居ります。
詰り、今週の「アフロ田中」が氣に成つても
本が發賣される迄待つことにして居ると云ふことです。
・・・いや、勿論氣に成るのは「アフロ田中」だけではありませぬぞ。
今は、全國の古本屋から瞬時に欲しい本を
電網で檢索出來るので、非常に便利では有ります。
然し、何でも電網で買ふと云ふことには
賛成しかねます。私は古本を電網で檢索しても、
なるべく實際に訪れる事が出來る古書店を選び、
在庫を 確認して貰つてから直接買ひに行くことが多いです。
前述の店主は、倅達は古書に全く興味がないので
5、6年したら店を閉める積りだと語つて居りました。
今、此の樣な店が一體全國にどれだけあるのでせう。
便利だ便利だと云つて、大手の新古書店許り
使へば町にある、あの獨特な古本屋は姿を消します。
其れは田舎へ行くほど顯著です。
古本屋を後にして、
今度は金物屋へと參りました。洗濯板などを物色した後
柄が木製の小さな掃除用ブラシを見つけました。
此れは、ありさうでないもののひとつです。
ブラシは、柄も本體もプラスチック製が多いので
全て天然素材の物は、探さないと容易には
見つかりません。
掃除用品を見れば、其の方が
どんな生活を送つてゐるのかが
一目瞭然でわかるのです。
店主「どんな物をお探しでせう。」
淺井「昔から使つてゐるやうな生活用品を探して居るのです。」
店主「其れを蒐集なさつてゐるのですか。」
淺井「いいえ、家で使ふのです。」
それから金物屋に
カフヱーは何處だ、と尋ねると
300メートル先にあると云はれたので、
其處へ向かふことにしました。
其のカフヱーには、
硝子張りの焙煎室が特別に設けられてゐたので
普段飮むことのない舶來の珈琲を飮みました。
其處で此の「週刊モガ」を認めたと云ふわけです。
散歩の話は此の邊りとしまして、以前告知を致しました
埼玉縣與野での「大正時代まつり」のお話を
しようと思ひます。
今年も參加させて戴きました。
いつも通りの洋裝では
私にとつて全く日常と變はらないので、
今囘は一寸違つた事を取り入れました。
以下は、今年の着こなし覺書です。
洋服は當時の横濱モガ着用。正絹製。
帝都の骨董市にて入手。日本のアールデコで、
ビーズが澤山手縫ひであしらはれてゐます。
日本人モガの洋服は、骨董市でも
なかなか見つかりませんが
此れは偶然入手出來た一枚です。
よく、モガの洋服は何處で見つけますかと云ふ質問が
ありますが、當時の物を見つけ出すことは
探し囘る以外に方法はありません。
以前にも書きましたが、電網に頼り過ぎると
別の大事な情報が入らなくなりますので
利用し過ぎない事です。
ボロボロで着られない樣な物でも、
見つけたら入手して複製させませう。
一等良い方法は、
當時の婦人雜誌などを參考にして
實際に作る事です。自分で出來なければ
服飾の專門家に相談してみませう。
手袋も、當時の日本人モガの物で
骨董屋で入手。 此れも偶然、呼ばれた
かのやうに見つけました。
手首の邊りに刺繍が入つてゐて、
此の柄を何にするかと云ふ事が流行りました。
手の甲には、此の時代に多い
三本線が入つてゐます。
首飾りは、首周りの短い物と
自作の約5メートルの淡水眞珠を組み合はせました。
長く垂らしても4連位には成ります。何重にも卷く場合は、
1連目を余り短くしない事です。首元が段々絞まつて
來ますので、非常に苦しい思ひをするでせう。
傘は絹絲と和紙によつて作られた踊り用です。
此れは戰前の物ではないので、
持ち手の所に白い滑り止め(此處だけ
プラスチック)が附いてゐました。
美しくないのでその部分は取り外しました。
そして、兩足の足踵から腿にかけて、眉墨を使つて
黒い線を1本肌の上から直に描きました。
眞つ直ぐの線に成るやうに、線の左右にマスキングテエプを貼り、
眞中を塗りつぶす樣に描き、テエプを剥がします。
すると黒い線だけが殘ると云ふわけです。
海外モガで、バックシームストッキングの
代用として肌に一本線を引いてゐた方が居た
と云ふのは有名な話です。
其れを一度やつてみたかつたので、挑戰致しました。
面白いもので、バックシームストッキングだと
勘違いされた方が數多く居らつしやいました。
まさか足に黒い線を引いてゐるとは、皆樣思はない樣で
意外とだませたものだなアと思つてしまひました。
化粧は、いつもの樣に當時の冩眞を參考にして居ます。
私は石油系の化粧品は一切使ひません。
襟卷きは、昭和初期のデパートメントストアー製です。
現代の安價な海外製毛皮を買ふことは
問題が多過ぎる爲、薦めません。
蝦蟇口はビーズで、大正末期から昭和初期の物です。
良い蝦蟇口の見分け方としては、
閉めた時の音が重要です。
昔の高級品は、鐵を使つてゐる
こともあつて、ガチッとした重い音がします。
逆に、現在の大量生産品では閉めた時に
輕い音がします。 此れは、モガとして
覺えておきたい事の一つです。
トーク帽は職人藝の非常に美しい物です。
淺草のモボモガ御用達の店「東京蛍堂」にて
贖入致しました。
トーク帽の場合は、必ずピンなどで固定しませう。
御辭儀しても帽子が動かない事が
重要です。トーク帽は、被る角度によつて
見え方が全く異なります。一等良いと
思ふ所まで、何度も試してから固定して下さい。
革靴は踵の廣がつたローヒールの
ストラップシューズで、モガ定番の物です。
髮型は、行きつけの
下北澤「セピア倶樂部」にて斷髮。
いつもより襟足の面積を少なめにして
當時のモガにより近附けました。
いつも昭和初期の
子供の髮型に尤も近く、高峰三枝子さんの
幼少時代の髮型に似て居ります。
と云つても、其れがすぐにわかる方は
餘程の活動冩眞ファンかと
思はれます。
他にも色々拘りがありますが、此の邊にしておきませう。
そんなわけで、自分なりに
今、出來る完璧なモガの裝ひで
參加が出來て非常に嬉しかつたです。
冩眞撮影も樂しいですが、
大正行列の參加中に
ふつと向かふの世界に居る樣な感覺に成れるので
私は出來る限り參加し續けようと思つて居ります。
此の氣持ちは出てみないとわからないと思ひます。
沿道のお客さんがとてもよい顏をして呉れる事も
何より嬉しい事です。特に御老人の嬉しさうな
顏を見られる事が樂しみです。
小さな女の子が恥づかしさうに
一緒に冩眞を撮つて下さい、と言つて呉れたので
可愛いなと思ひました。
來年は、もつと多くのモガ・モボが集まる事を
願つて止みません。
洋裝でも和裝でも、日本のモガは
日本女性の美を尤も表せる裝ひだと
信じて居ります。
私は、おばあちやんに成つてもモガの
裝ひでゐる事でせう。
伯林から參加の獨逸人青年ともお會ひ出來ました。
モダンボーイだと聞いて居りましたが、
自前の燕尾服で立派な紳士でした。
貸衣裝の方以外での
自前衣裝で參加のモダンボーイは一人も居らず
日本のモダンボーイの研究及び實踐をしてゐる青年は
現代日本に居るのだらうか、と考へてみました。
ひよつとしたら絶滅の危機ではないかと
不安に思つて居ります。
戰前の事物に影響を受けた青年らは
私の周りにも大勢居らつしやいますが、
あくまで「日本のモボ研究と實踐」、と云ふよりは
海外主点で眼を向けてゐる方が多い樣に見えます。
日本人による和洋折衷のモボとはどんな風で、
どんな生活を送つてゐたのか、
更に其れを實踐しようとしてゐる方は
いらつしやるのでせうか。
現代、日本人モボ絶滅の危機なのかもしれません。
エノケンの「洒落男」に出てくる樣な
日本のモボは、既に絶滅してしまつたのでせうか。
「週刊モガ」をご覽の方で、
モボである、又はモボが周りに居ると云ふ方は
御聯絡下さいませ。
誰か一人でも 「我はモダンボーイなり。」と云ふ青年が
出て呉れれば後に續くと思つて居ります。
因に一等素的だなアと思ふ大正ボーイは
御歳90代、本當の大正生まれの御方です。
モガはモボを知らなければなりませんし、
モボはモガを知らなければなりません。
敵を知り、己を知れば、百戰危うからず
と云ふわけです。
あら、モボは敵ではありませんでしたわネ。
そんなわけで、日本のモボ復活を
夢見乍ら
「週刊モガ」此れにておしまひで
あります。
來週は更新致します。
それでは、御機嫌よう。(淺井カヨ)
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