一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨによる個人ブログ©️KAYO ASAI
平成20年秋 日本大正村にて筆者
連載第8回「週刊モガ」 刷り込みに御用心
嘘ッ!?と云ふ感じの、あつと云ふ間の1週間でした。
今週も(?)、、、火曜日(?)、、、更新の
「週刊モガ」を始めたいと思ひます。(嘘はいけません。)
日本モダンガール協會(略して、モ協)の
淺井カヨです。
私は只今、S縣の緑多き環境に或る
約80疉の大廣間にて
「週刊モガ」を認めて居ります。
窓の外では小雨が降つてゐます。
此處へはよく、風呂敷包み一つでやつて來ます。
疉の香りが充滿してゐて心地良い空間です。
正面にはステエジが設置されて居ります。
何處からやつて來たのかは解りませんが、
夜な夜な紳士淑女(やや高齢)が
順番に熱唱して居るのであります。
今も、或る紳士が独唱して居ります。
今宵の聽衆は、前方に坐る淑女2名と
一番後ろの席で何やら
書き込みをしてゐるモガの3名だけです。
約80疉の部屋なので、前方の
淑女2名の顏は判別出來ません。
此處の使用料は大浴場附きで
五百圓。茶葉を持參すれば
急須や湯飮みが使へます。
一寸した旅氣分も味はへる憩ひの場です。
書き進めて行く内に、前方の淑女2名は
何處かへ消えてしまい、遂に
紳士と私の2人に成つてしまひました。
紳士は次の曲を探すのに必死で、
こちらのことなど何も氣にして居ない樣子です。
身近な公共施設を見直してみると、
面白い場所が見つかるかもしれません。
遠くへ行くこと許り考へないで、
近所の情報も積極的に取り入れませう。
氣樂に旅氣分が味はへますから、
すぐ近くの市町村へも出掛けて見て下さい。
疉部屋で横に成つたり、「週刊モガ」を認めたり、
それから一旦、大浴場へと向かひました。
御風呂に入つてから、
脱衣場に出ると信じられない光景が、、、。
「すわつ!!」私は、目を丸くしました。
鏡の前で、一心不亂に化粧をしてゐる
淑女(やや高齢)の格好が、上半身裸で
黒タイツ一枚なので、江頭2:50氏にそつくり
なのでした。
「エ、エガちゃん・・・。」と云ひ度くなるのを
ぐつとこらへて脱衣場を後にしました。
冒頭から、モダンガールとあまり關係のない
話題で恐縮です。
全國何萬人か(?)のモダンガールから
「早ク始メヨ。」と云はれさうです。
モダンガールの生活を考へた時に、
其の原動力に成るのは、前囘も取り上げた「美」で
ある事は明白です。
1つ1つの事物を考へ直した結果、
究極の「美」が行き着いた物とは、
自然を生かした物である、と云ふことは
前回までに申した通りです。
今日の持ち物一つを取つても
身に着けてゐる物、手拭など全てが綿、
風呂敷は絹、石鹸は知人が作つて呉れた物で
殆どが自然由來の物です。
何故、生活に自然素材の物を求めるのか、
初めは單に、當時の生活を見直して
其の上に「美」を求めていつたら
殆どが自然素材のものであつたと云ふことから始まりました。
何故其れを、自分が追ひ求めて居るのか
最近に成つてやつとわかりました。
「美」だけを求めてゐたのではなかつたのです。
自分自身が自然由來のものを
使ふことによつて「いのち」を實感したい、
つまり、生きてゐると云ふ實感を求めてゐた、
と云ふことなのです。
自然から出來た物は、其れが生きてゐた
證(あかし)であり
自然のものに觸れて、使ふことによつて
“生き物”である私自身が、居心地の良さ
を感じてゐたのです。
昔の物には、自然を人間にとつて
最大限に生かした物が數多く存在してゐた、
と云ふ點が大きいと思つて居ります。
“私”と云ふ生き物は、自分の意思で生きてゐるのではなく
生かされてゐる、と考へる方が自然です。
私は自分の臟器や器官を
自分の意思で動かせた事が
ありません。
手や足、眼や口などの部位は或程度自由に
動かすことが出來ますが、内部の
殆どの器官を自分で動かした
經驗がないのです。
心臟を動かさうと思つてもよくわからない
うちにいつの間にか動いてゐます。
其れは、有り難い事に私ではない何かによつて、
動かされてゐるのです。身體は
私のものだと思つてゐたのですが、どうも
さうではなくて、單なる借り物に過ぎないと
思ふやうに成りました。
天に生かされてゐる、と云ふことです。
一定期間が過ぎれば、また大地に戻るだけです。
然し、一人一人の人間が
突然變異で泥から生まれたのでは勿論なく、たくさんの
いのちが繋がつた上に自分が存在してゐるわけです。
怪我をすれば、體が直さうと必死に動いて呉れます。
今年の春のことです。私は自轉車に乘り乍ら
後ろの荷臺に括りつけた紐が氣に成つて仕方が無く、
後ろを見て運轉しました。再び前を見たら
電柱が眼の前にあり、あつと云ふ間に左目附近を強打
して、その場に倒れ込んでしまひました。
人相が變はる位の怪我でしたが、休養を
取つてゐる内に何週間かして完治しました。
私の身體に起こつた事ですが、どうやつて
治つたのかはわかりません。
ただ出來た事は、身體の
働きを充分に出せる樣に、食べ物に氣を附け
休養を取つただけです。
私は、自然に近い環境に
身を置くことによつて、自分自身の力を最大限に
生かせると思つて居ます。
身の周りから、完全に自然を排してしまへば
人間はいとも簡單に病氣に成ると考へます。
さう云つた意味で、戰前までの日本には
自然と共生する智慧がたくさん生活の中に
含まれてゐたと思つて居ります。
現代の人工物が全て惡いと云ふわけでは
決してありません。
其れも一つの「美」の形です。有機的な物に圍まれた
生活よりも、無機質な物に圍まれた生活の方が良い
と言ふ方も居られる事でせう。
しかし、生活から自然のものを排していくことは
生き物としての“自分”を追ひ込むことに
なる、と云ふことを何處かに記憶して貰ひ度いと
思つて居ります。
此處で、一寸話が變はります。
女性同士で話してゐると、意外と多く聞くのが
急に胸(乳頭)が痒くなる、と云ふ話であります。
男性にはわからない事でせうが、
女性によつてはかう云ふ惱みを持つてゐる
方が多いのです。
其処で聞いてみたい事は、
胸を覆つてゐる下着や洋服は
天然纖維ではなく、ポリエステルやナイロンなどの
合成纖維ではないだらうか、と云ふことです。
合成纖維のパツドが入つてゐないだらうか?
機械の中に、合成洗劑を放り込んで洗つてゐないだらうか?
現代人は、宣傳に惑はされて
洗劑を使ひ過ぎてゐます。
汚れが酷ければ、事前に部分洗ひをすれば
いいだけで、必ずしも洗劑を
使ふ必要はないのです。
合成洗劑は、最初から苦手だつたので
長年、粉石鹸や液體石鹸を使用してゐました。
しかし、其れも或る時必要ない事に氣が附きました。
時々、水に重曹を混ぜる事はありますが
殆ど水だけで充分です。洗劑は、洗濯機で
回しても確實に殘ります。敏感な方は
絶對に何かしらの影響を受けてゐる筈です。
合成纖維に殘留洗劑、
そして普段加工食品と肉食の多い生活を送れば
痒くならない方がをかしい位です。
身に覺えのある方は、是非試して見て下さい。
或る問題があつたとします。
多くの人は、其の問題を考へる時に
2と3の情報しか知らず、其れが絶對だと
思ひ込んでしまひます。
しかも、其の2と3の情報は
故意に作られた情報である可能性が高いのです。
2と3の情報を多くの人が選ぶことによつて
ある少數の人達が得をする、と云ふ仕組みに
なつてゐる事が多々有ります。
ある者は其の選擇にやや違和感を感じますが、
大多數の人が問題を考へる上で其れを選んでゐるので
此れでいいかなアと、適當な所で妥協してしまふのです。
然し、此處からが肝腎です。
問題を考へる選擇肢は、2と3だけでは決してありません。
眞實も2と3だけと云ふことは有り得ません。
2から100迄あるかもしれないし、
2から1000なのかもしれません。
其の問題を考へるには、多くの人々に與へられた2、3の情報の
中から考へるだけではいけないのです。
なるべくたくさんのことを聞き、眞實と選擇肢を探すべきです。
2、3の選擇肢の中には
“選ばせようとする。”大きな力によつて
信じ込ませられてゐる事が多く有ります。
“刷り込み”と云うことです。
先ほどの洗劑の話で云へば、
多くの人が「洗劑を使ふ。」と云ふことが
“刷り込み”によつて當然に成つてしまひ、
「本當に自分にとつて必要なものなのか?」と
云ふことに就いて考へるきつかけすら與へられてゐない
状況だと云ふことなのです。
此れは恐ろしい事實です。
周りに、私以外の人間で現代モガとして生きる、と
言つてゐる人間が果たして居たでせうか。
少なくとも私の周りには一人も居ませんでした。
此れも數多くある選擇肢の中の一つの生き方であります。
現在の平成と云ふ時代に、敢へて
大正時代や昭和初頭の生活を見直してモガを中心に
生きようとする、をかしいのがゐる、と思ふ方が
大多數であると思ひます。
私はある一つの選擇肢を提示したと考へてゐます。
少なからず周りに影響を與へてゐる積りです。
此れを讀んでゐる一人一人が、實は
周りへ強く影響を與へてゐると
云ふことを考へて欲しいと思ひます。
周りへ與へる影響と云ふのは、
計り知れない位大きなものです。
まづは、其れを自覺すべきです。
一舉一動、全てが影響を與へてゐるのです。
他人事ではありません。
人は、身近にあるものから
尤も影響を受ける生き物なのです。
實は、メディアの傳へる事よりも
本當に影響を受ける事は身近な人間の
行動なのです。
自分の生活、社會の問題に目覺め、
聲を出し行動に移していくことに
よつて、大きく廣がつて行くことに成ると思ひます。
何度も言ひますが、私はこの文章を
自分の爲に認めてゐるわけではありません。
讀んでくれる一人一人に向けての手紙の
樣なものであると思つてゐます。
モガはどの時代に於いても
内に篭つていく性質の者ではないと思つてゐます。
現代モガが、現代社會と切り離された
存在であつてはなりません。
自分さへ良ければ良い、自分の事で精一杯で
日本や世界のことなどどうでも良い、と云ふ姿勢で
あれば、其れはモガとは呼べません。
モガとしての裝ひだけを完璧にしても、
薄つぺらなお人形に過ぎません。
大正時代やモガ・モボの世界だけを
執拗に追つて生きてゐるだけなら
單なる偏執者に過ぎないと言つて置きませう。
「週刊モガ」を讀んで下さつてゐる方には、
特にさうはなつて欲しくないと願つてゐます。
現代日本の問題點、日本の國益、政治、經濟、地域社會、
世界に就いて考へる事なく、
單に大正時代を追ひかける事程悲しいことは
ありません。
あくまでも、現代日本に於いて何が重要であるのか
と云ふことを踏まえた上でのモガでなければ、
單なる趣味の世界で終はりです。
私にとつてモダンガールは趣味嗜好ではありません。
生き方そのものです。
戰前日本を否定する教育、社會が、
戰後日本には長くありました。然し其れも見直されつつあります。
本當の日本の歴史を知れば知るほど、
日本人としての誇りを持つて生きる事が出來ます。
歴史を知らなければ、日本人とは云へません。
其れは非常に勿體無い事だと私は思ひます。
聲を出すことを極端に恐れ、自分の意見を述べず、
周りを氣にする餘り何も言へないと云ふことは
恥づべきことです。
ビクビクして居れば、其の分攻撃を受けやすくなります。
然し、堂々と戰つて行けば
こちらが思つてゐる程、攻撃はされないものです。
正しいと思ふことは聲に出して主張して良いのです。
ただ、正しいと思ふことを常に疑ふことも必要で、
本質を掴んでゐるか考へ直す必要はあります。
問題の選擇肢は2、3ではないのです。
2、3の選擇肢から選ばなければならないなどと
云ふのはまやかしに過ぎません。現在、眞實の多くは
多くの集團が向かつてゐない方向にあるのです。
多くの集團が向かふ方向に、眞實はないのです。
さて、映畫雜誌「スタア」を讀んで居りましたら、
當時の男性の樣々な髮型に附いて書かれてゐました。
近衞型、オリムピック、ケセレスネス、
リーゼントスタイル、ビジネスカット、防共型、
ミドル(ビジネスカット)、ロバートテイラー型、、、。
かう云ふ物を讀んでゐるとわくわくせずに
いられません。そろそろ具體的な
お話をしたいものですが、なかなか先に進みません。
此の邊で、今週の「週刊モガ」は
お開きにしたいと思ひます。
取り上げて欲しい題材、御意見、御感想など
ありましたら氣輕にメエルをお送り下さい。
すぐに御返事を書けない状況ですが、
全て眼を通して居ります。 ありがたうございます。
それでは、來週までごきげんよう。
日本モダンガール協會(淺井カヨ)
★
「週刊モガ」をご覽の皆さんは、
「日本文化チャンネル桜」をご存知でせうか。
チャンネル桜の良い所は、
傳統を重んじ、戰後日本を見直さうと云ふ
日本で最初の草莽(そうもう)メディアであると云ふ點です。
あらゆる權力や團體、企業等からの獨立を守り、
眞實を公表し續けて來た唯一の放送局です。
此れが、どんなに大變なことであるかを考へて下さい。
知らなかつた方は、是非此の機會にご覽下さい。
もしも、既存のメディアの何處が偏つてゐるのかが
わからない、と云ふ方がいらつしやいましたら
既に大きな勢力に丸め込まれてゐると云ふ
自覺を持たなくてはなりません。
歴史、政治、經濟などの番組の他に
「探訪 SP盤の世界」と云ふ番組もあります。
現在は、残念ながら休止中のやうですが過去の映像を家項から見られます。
私は、この番組のフアンであります。
★
それから、10月25日の「大正時代まつり」が近附いて
居ります!!是非、一緒に
パレエドをしませう!!
★
自己紹介
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