日光への旅【後篇】東照宮と明治大正を巡るモガ紀行文
こんにちは。
日本モダンガール協會
(略してモ協)の淺井カヨと申します。
御待たせ致しました。
夏休み企劃第一彈の旅日記【後篇】を
御送りしたいと思ひます。
此方から御覽の方は、
【前篇】御話は電波塔から唐突に始まる
から御讀み下さると嬉しいです。
先日は土用の丑の日でしたので、
鰻膳を戴きました。と云ふ譯で元氣に
旅日記を更新致します。
【前篇】にて、南栗橋驛に就いて述べました所、
色々な情報を戴きました。
お讀み戴いた方より、
南栗橋に「ストリップ劇場」があるとの情報も戴きました。
誠に有難うございます。
また、モボの淺井カヨ郎に成つた曉には、
伺へるかもしれません。(・・・無理か。)
(前回掲載の例の本で)知恵は倍に成りましたか?と
尋ねて呉れた方もいらつしやいましたが、
其れはどうもうまく行きません。
さて、前置きは此の邊に致しまして
【後篇】東照宮と明治大正を巡るモガ紀行文を始めませう。
(今回は冩眞を大きめに致しましたので、是非拡大して御覽下さい。)
早朝に南栗橋驛を出發致しまして、
東武日光驛へは2時間以内に到着致しました。
日光東照宮があると云ふこと以外は、特に
豫備智識もなく參りました。急な旅でしたので、
觀光案内書などは勿論持つて居りません。
(と云つても現代の觀光案内書を見乍ら
旅をする事は、殆どないのですが。)
終點の東武日光驛へ列車が近附き
やや徐行を始めた頃、眞横に近代建築らしき
驛舎が現れ、目が釘附けに成りました。
東武日光驛へ降りた後、すぐに
其の驛舎の方向へと戻つて向かひました。
其処は東日本旅客鐵道日光驛でした。
此處に來られただけでも日光へ來たかいがあつたと思ひました。
車窓から見逃さないで良かつたです。
此処にも、例の電波塔の看板が!思へば昨晩、
此の電波塔を見てゐたら、急に日光へ行きたくなつたのでした。
もう遠い昔のやうな話です。
早速、日光驛にて市内地圖や散らしを集めました。
其處で氣に成つたのは日光田母沢御用邸記念公園と、
手描きで印刷された地圖にかかれた
日光東照宮のすぐ近くにあるらしい「明治の館」です。
説明を見ると、日本蓄音機商會の舊ホーン邸に
レストランがあると云ふので、お!と思ひました。
日頃自宅では手廻し蓄音機でSPレコードを聽き、
SPレコードに關係した會があればなるべく行きたいと
思つてゐるので、此れは天から行けと
云はれてゐるな、と云ふ感じが致しました。
驛で散らしを見てゐたら、さう云へば日光と言へば
日光金谷ホテルがあつたなア、と想ひ出したので
其処も行くことに決めました。
これで今日行きたい所が、大體決まりましたが、
まづは日光東照宮へ向かふことに致しました。
日光東照宮へは、驛前からバスに乘りました。
旅先にて知らないバスに搖られてゐると云ふのは
本當に氣分爽快です。一人旅を始めた高等學生から
其れだけは變らないのであります。
晝食は「明治の館」に決めたので、朝は日光金谷ベーカリーの
洋食パンと致しました。因にカレーパンを戴きましたが
カレーパンの歴史を考へて、問題なく戴きました。
日光東照宮へバスが到着致しました。
色々な言語で、ようこそ日光へと書かれた看板がありました。
さて、どれが何語でせう?
手描きらしき境内の地圖が有りました。
なかなか年代物のやうで嬉しくなりました。
日光と云へば、やはり陽明門ですネ。
三猿は、よく御土産で賣られてゐる物と大分違ひました。
一觀光客としてじつくり拜見致しました。
日光の建築については、昔から賛否兩論あるでせうが、私は
衝撃を受けました。小學生や中學生や外國人の團體や
兔に角、境内はたくさんの人で溢れ返つてゐました。
子供が澤山いたのは私にとつて救ひでした。
もしも境内がシンと靜まり返つてゐて、一人だとしたら
正氣を保てるかどうか自信がない、とすら思ひました。
三神庫邊りへ行つた時分は、全くの異界に來たと云ふ感じがして
惡い感じではなく、身體中がゾッとする樣でした。
見事な滿開の櫻の園で、もしも日中たつた一人だつたら、と云ふ感じかと
考へてみましたが、其れとも違つて居りまして
今までに一度もない感覺でした。
文章でうまく説明出來ないのですが、まだ行つてゐない人で
行くことが出來る人は、ぜひ日光へ出掛けてみて下さい。
實物を見て其の場の空氣に觸れてみなければ
わからない事は多いと思ひます。
感じ方は千差萬別で、私の樣に強い衝撃を受ける人もゐれば
ひよつとしたら二度と行きたくないとすら云ふ人も
ゐるのかもしれません。
其れ位、強い表現であると云ふことです。當たり障りのない
何となく良かつた、と言ふ所では決してないと思ひました。
日本酒の隣にウヰスキー樽があつて
思はず冩眞を撮りました。これぞ和洋折衷と云ひますか
何だか面白い光景でした。
奧社の唐門です。徳川家康墓へ參りました。
木立の小さな看板です。
日光東照宮のお寺をじつくり廻り、そろそろ晝食を認めようと
「明治の館」へ歩いて向かひました。
少し歩くと「明治の館」の看板が見えました。
「ぎゃらりー蓄音機」には鍵がかかつてゐて
中には入れませんでした。
陶藝品、硝子細工、版畫、裝飾小物等が展示販賣
されてゐるやうで、蓄音機が飾られてゐるわけではないさうです。
木立の中に、美しい洋館が現れました。
白いエプロンにロングスカートの女給さんの
姿が見えました。繪に成る光景です。拡大して見ませう。
正面の看板です。
1階には、明治43年4月に國産第1號として
發賣されたニッポノホン35型と書かれて飾られてをりました。
當時、35圓だつたさうです。
洋食の定番、オムライスを戴きました。洋館での食事は格別です。
蝶ネクタイの給仕と白いエプロンの女給が忙しさうに
店内を歩きまはつてゐました。どこぞの有閑マダムにでもなつた
積りで眺めてをりました。氣分は「モマ」ですネ。
(「モマ」が解らない人は、此方へどうぞ。)
店内は非常に混雜してゐて冩眞は撮れませんでしたが
明るく良い雰圍氣なのでした。
1階部分がレストランとして
使用されてゐました。では、2階、3階はどうなつて
ゐるのでせう。
勿論、此處で引き下がる私では有りません。
蝶ネクタイの給仕に建物を見せて下さいと頼むと、
あつさりオオケイして呉れました。
こちらは當時から變はらない照明器具ださうです。
2階にもホーンの冩眞が有りました。
東洋陶器株式会社(現在のTOTO)のラベルです。
2階へ上がると、洋間や浴室などかつての生活感すら感じさせる樣な
幾つかの小部屋がありました。
大きめの硝子製の取つ手(今までに見た中で
一等立派な物でした。)部屋の呼鈴、
家具、窓の樣式などじつくり見學させて戴きました。
浴室は、物置に成つてをりましたが タイル、猫足の浴槽など
當時のままで思はず感歎の聲をあげずにはゐられませんでした。
2階を見學し終へると、3階へ續く階段がありましたが
そちらへは絶對に上がれないのださうです。
矢張り洋館には祕密がつきものかしらん。
・・・と言ひたい所ですが、どうやら倉庫のやうです。
3階の階段のすぐ上邊りに、レコードが額裝されて飾られて居り
何の曲なのか氣に成りましたが、其處へ行くことは決して出來ないのでした。
雙眼鏡が有れば見えたかもしれません。
「明治の館」には、隣に別館があつて
建物だけでも見に行くと良いですヨ、と給仕から
教へられ、別館へと參りました。店名は游晏山房と云ふのださうです。
元々はメイド部屋で、疉部屋だつたと言ふ話も聞きました。
建物を見るだけにしようと思ひましたが、
折角なので午後の紅茶を樂しむことに致しました。
窓の外では、鵯(ひよどり)が水浴びに來てゐました。
何故、鵯かわかるのかと云ふと、鳥に詳しいからではなく
店主が鳥の圖鑑を持つて來たからです。
特に鳥好きと云ふわけではないのですが、
暫くその動きに魅入つてしまひました。
さて、美味しいケーキと紅茶を戴き、
歩いて田母沢御用邸方面へと考へましたが
何となく適當に歩いたら、日光金谷ホテルの近くへ到着致しました。
坂を登り、ホテルの前へと參りました。
憧れの日光金谷ホテルが、目の前に!
ホテルのボイが、建物前で
冩眞を撮りませうか、と言つて呉れましたが
其れはいつか泊まる時に、と
思ひまして、建物だけを撮影させて戴きました。
ホテルでは古の冩眞展が開催されて居りました。
いつか泊まれる日がくるのかしらん。
そしてホテルから坂を下りるとすぐ脇に、
日光物産商会の建物が有りました。
↓ 下は大正時代です。
此處も素晴らしい建物でした。
先ほど、紅茶を飮んだ許りでしたが、またしても
建物が見たいので、2階の喫茶店で
紅茶を飮みました。(人が居なくなった隙に撮影致しました。)
これから御用邸へ驅け足で行くよりは、
次囘じつくり廻る事にして、
此處でゆつくり過ごさうと思ひました。
硝子にみとれて居ります。
建物前に置かれた、ケエブル・カアにいたく感動。
行きはバスでしたが、歸りは
歩いて日光驛方面へと向かひました。
日光市役所も遠くから眺めました。
途中に骨董品屋や古道具屋があつて
面白かつたです。
特に氣に成つたお店は此処です。
精工舎の掌に收まる位の
小さな置時計を贖入致しました。
全く動きませんが、その佇まいに惹かれました。
驛の近くで湯葉料理を戴き
歸りは東武鐵道の特別急行に乘りましたので
あつと云ふ間に帝都へ戻つて來ました。
日光では、前日の奇天烈な動きとは打つて變はつて、
殆どが文化財を中心に廻つてゐたと思ひます。
讀んでゐる人にとつてはあまり新しい事はなかつたかもしれません。
現在、旅に出られる人も出られない人も色々な方がいらつしやるかと
思ひますが、何か一緒に旅に出たやうな氣分に成つて戴けたのなら
嬉しい限りです。
いつ何時、自分の身に何が起こるのか、此れ許りは
わかりません。周りの人に何が急に起こるのかも、私にはわかりません。
身體が動く内に色々な體驗を通して、
見聞を深めたいと思つて居ります。
無機質なインタアネットの液晶畫面も、最終的には外へ出る
きつかけや誰かと出會ふきつかけの爲にあるのだと私は思ひます。
インタアネットの中だけでは、決して完結しない樣に、
現實に何かを經驗するきつかけを作る爲の道具で有る樣に、私自身は
此れからも附き合つていきたいと思ひ旅日記を認めました。
これで2日間の短い旅日記を終へます。
後日、近所の古道具屋で以前から賣られてゐた
三猿の小さな置物を手に入れました。
店主が、「それ、日光の木彫りだネ。」と云ふので、
「日光へ出掛けた後に、買ひ度いと思ひましてネ。」と
答へる私でありました。
三猿
今週末は、日本大正村訪問の爲、再び
岐阜縣へ參りますので、また旅の話が
何処かで出來ることかと思ひます。
其れでは、次回まで左樣なら。
健康を祈ります。
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日光への旅【前篇】御話は電波塔から唐突に始まる
こんにちは。御機嫌如何でせうか。
日本モダンガール協會の淺井カヨです。
今回は、夏休み企劃第一彈
旅日記【前後篇】と致しまして、
先日訪れました日光に就いての
御話を認めたいと思ひます。
御話は、7月某日の淺草から始まります。
淺草へ行く機會は多いのですが、其の日も
仕事後に淺草にて或る用件を濟ませ、
驛前の神谷バー前邊りを一人で歩いてゐました。
午後10時頃の事です。
淺草は何度訪れても、氣分が昂揚するやうな
不思議な心地良い氣分にさせて呉れます。
此の感じは一體何處からやつて來るのでせう。
老舖の神谷バー前から、地下鐵道への階段を降りて
いつもの樣に歸路に就く積りが、餘りに夜風が
心地良い晩だつたので
隅田川にかかる大きな吾妻橋を
歩いて渡つてみたくなりました。
帽子が飛ばされない樣に時折手で押し乍ら、
暗い大きな川の流れと遠くの夜景を見てゐたら、
更に氣分が良くなつて、橋を渡り終へても
淺草へ戻る事なく約500メートル先の
本所吾妻橋驛へと向かつたのでした。
本所吾妻橋驛へ到着すると、
「東京スカイツリー」なる建設中の
眞新しい電波塔が目前に見えてきたのでした。
急に此の電波塔の眞下から塔を見上げて
みたくなり、地圖も持たず建設中の塔へと
一歩一歩近附いて行つたのでありました。
高い塔や高層建築が目前に見えてしまふと、
近附いてみたくなると云ふをかしな習性が私にはあります。
「東京タワー」の近くを偶然歩いてゐて、
意味無く塔へ近附いて行つた事が何度あつたか
わかりません。また、赤坂邊りを歩けば特に用もなく
「六本木ヒルズ」の高層建築へ近附いたり、
新宿を歩けば都廳へ近附き、池袋へ行けば
「サンシャイン60」へと向かつてしまひます。
隙あらば、其の高層建築に登らうとさへ致します。
全く油斷がなりません。
そんな譯で暫く歩いて、電波塔の眞下へと到着致しました。
平成22年7月現在の高さは、398メートルなのださうです。
無機質である筈の塔に對して、「育つています」と云ふ表現が
矢鱈と街中に目立ち、其処に魂が宿つてゐるかの樣に示すのは
如何にも日本的だなアなどと考へて居りました。
此れが634メートルまで伸びると云ふのですから、
途方もない事のやうに思へてきましたが事實のやうです。
建設中の電波塔の中は恐らくまだ空洞でせうが、
點滅する赤い光を放つ電波塔は、
何か怪しい基地のやうな、をかしな氣分にさせるのでした。
其の最新式の塔を、私はただ阿呆のやうに
ぢつと眞下から見上げて居たのでありました。
思へば、古物に圍まれて生きてゐる私が
餘りにも新し過ぎる此の塔を見過ぎた爲に、
其の後の行動が狂つてしまつたと云つても
過言ではない事でせう。
暫く電波塔を見上げた後に、
最寄驛の東武伊勢崎線の業平橋驛へ
向かひました。恐らく初めて利用する驛だと思ひます。
驛のすぐ近くに深夜まで營業してゐる古本屋があつて、
中へ入りました。急に出掛けた街で古本屋を見つけた
時ほど嬉しい事は有りません。
此處で私は、大正時代に就いて
書かれた圖録と、昭和36年發行の
「これは便利だ あなたの知恵が倍になる」と
云ふ何かの雜誌の別册附録を意味なく贖入したのでした。
業平橋驛から淺草驛までは、ものの3分で到着致します。
此のまま杉並區の自宅へ戻れば、
問題もなく普通に到着出來るでせう。
時刻は午後11時でした。
11時10分には、淺草行きの列車が到着します。
然し、私は淺草驛へは向かはず
11時05分發の館林(たてばやし)行きに
乘つてみたいと云ふ衝動が湧き起こりました。
館林と云へど其処が何處なのか、よくわかりません。
何故、急に反對線の列車に飛び乘つてしまつたのでせう。
其れはもう何年も前から出掛けたいと思つてゐた
栃木縣日光市の日光東照宮へ突然
出掛けたくなつたからなのでした。私はまだ
一度も日光へ出掛けた事がなかつたのです。
夏の旅が唐突に始まつてしまひました。幸ひ
明日は仕事が休みなので安心でした。
生前の母が、「日光へ行つてないの!?」と
何度も云つてゐた事が印象に殘つてゐて、
いつか日光へ出掛けてみたい事よなアと
漠然と思つて居りました。
母は父と一緒に一度日光へ訪れたやうですが、
其れが餘程面白かつたのか日光へ行くと良い、と何度となく
日光の話を私にしてゐたのでした。
然し其れとは反對に、數年前或る方が
「日光へは行かない方が良い。靈的な
ものが強すぎて、敏感な人は恐ろしい目に遭ふから。」と
忌々しいやうな、引きつつたやうな顏で云つてゐたのでした。
そんな聲もちらりと思ひ出しましたが、
日光に何かがあるらしいのは慥かであります。
然し、今晩中に日光へ辿り着くことはまづ出來ないでせう。
此のまま進めば何處かで一夜を明かさなければなりません。
一體、私は何處へ向かつてゐるのでせう。
途中で、東武伊勢崎線は都區内の北千住驛を通りました。
此處で降りたら、まだ終電には間に合ふでせう。
然し、一向に降りようとしない私でした。
旅の夜風に吹かれたせいなのか一寸どうかして居ります。
東武伊勢崎線車内は、仕事歸りらしい人々で大變込み合つて
居りました。此れから何處へ辿り着くのさへわからない自分が
異邦人のやうに思へてきて、少々をかしな感覺でした。
東武線車内にて、先ほど贖入した昭和36年發行の
「これは便利だ あなたの知恵が倍になる」と云ふ本をパラパラと
捲り始めました。(斜文字、以下抜粋)
【エチケットのいろいろ】
△ゲンメツ・スタイル△
みがかない歯
どぎつい化粧
ポマードピカピカの頭
線のまがった婦人の靴下
スカートの下から見えるスリップ
よごれたカラー
曲ったネクタイ
折り目のないズボン
とれかかったボタン
はずれたホック
半分ひらいたファスナー
線のまがった婦人の靴下、に時代を感じました。
確かにそれはエチケットに反する事でせう。
【恋愛とデイトの心得】
電話と手紙のプラス・マイナス
ー「モシモシ」か「拝啓」かー
ラブレターという言葉がすたれ、
ラブ電話(フォーン)という新造語が流行しはじめた
この頃だが、異性に意志を伝える通信手段として、
電話と手紙とは、車の両輪の関係。どちらがよいと
断定はできかねるがケース・バイ・ケースで使い分ければ、
どちらもその場の状況に応じて、それ相当の威力を発揮する。
・・・・・・云々かんぬん。
昭和36年にラブ電話(フォーン)と云ふ新造語が
流行してゐたとは知りませんでした。他の項も
何となくパラパラと捲つて居りました。
知恵が倍に成つたかどうかは至極あやしい話であります。
列車の反對側の坐席には、何故かわかりませんが
ボロボロに成つたジャカルタの地圖が
置かれてゐました。現地で配つてゐる無料地圖の類でせうが
旅人の忘れ物なのか、印度尼西亞人が乘つてゐたのか、
一體何なのか、知る由も有りません。
車内では、奇怪な出來事が起こりました。
小さな革トランクを横にして膝の上に乘せて、ぼんやりと
次々と流れ去る車窓の見知らぬ夜景を眺めて居りましたら
隣に坐つて來た背廣姿の中年男が、突然私の
革トランクの上に無言で1圓玉を投げ入れて來たのでした。
其の中年男の餘りにも素早い行動(1圓玉の投げ入れ方)と
シュールな動きに、目が點に成つたのですが
どうやら自分が坐らうとした坐席に1圓玉が落ちてゐて、私が
落としたのと勘違ひしたのだらうと云ふ事がわかりました。
であるならば、一言聲を掛けて呉れたら分かりやすいのですが
無言で一圓玉を投げ入れる位、疲勞を感じてゐたのでせうか。
一體、どんな日常生活を送つてゐると此の樣な行動に至るのか
私の興味はつきないのでした。
東武日光へ向かふ爲に、東武動物公園驛で乘換をしました。
路線圖によりますと館林へ向かつてしまふと、
東武日光へは辿り着けません。
そして其處からは、南栗橋驛行きの最終列車が出て居りました。
もう後には引き返せません。今夜は、南栗橋驛で
一夜を明かし、明朝いざ日光へと進むことに決めました。
果たして南栗橋驛に到着したのは深夜0時を過ぎてをりました。
淺草驛を出て既に2時間程が經過して居りました。
本來ならば、自宅へ戻つてゐる筈でしたが
「東京スカイツリー」なる最新式の電波塔を見てから、
何かが始つたのかもしれません。
人生と云ふものは、何が起こるのかわからないものです。
←初めての南栗橋驛
南栗橋驛で、下車すると上下線共に
始發まで列車が有りません。とり敢へず、驛で新聞紙を
確保致しました。下手をすると野宿も有り得ます。
此の日もドレスを着てゐたので
出來れば屋根のある所で一夜を明かしたいと思ひました。
然し、驛前は眞つ暗で宿泊施設のやうな燈りは全く見當たりません。
驛前の明るい街燈の下にはベンチが有りました。
野宿候補地、其の1であります。
近所に病院があつたので、病院の敷地へ入つてみました。
病院の扉は閉まつて居りましたが、
其處にもベンチが澤山置かれてゐました。
候補地、其の2であります。然し、此處で朝まで過ごすのも
かつたるいなアと思ひ乍ら、驛を背にして
再び歩きました。或る住宅の2階の燈りからは人影が見えましたが
全く動く氣配が感じられず、不思議な光景でした。
まるでマネキンが住んでゐるかのやうです。
暗い道には、田んぼが廣がつてゐるやうで
蛙が元氣良く鳴いてゐました。思へば、大學時代
田んぼだらけの△△郡△△町大字△△字、と云ふ
町で下宿してゐたので
其のやうな風景を久し振りに見て一寸懐かしい感じすら致しました。
かう云ふ時、不安に成る人もゐるかもしれませんが
「どうにかなるさ」と云ふ氣持ちで全く不安に成る事が
ないのでした。單なる無鐵砲だと云へます。
いつの間にやら30カ國以上の國へ出掛けてしまひ、
どんな状況であつてもどうにも成らなかつた事が一度も無かつたのです。
もしもどうにも成らない事が身に起きてゐたら、私は此處に
居なかつたかと思ひますが、、、。
然し、此れが泰國
邊りの田舎町ならば
野犬がいつ現れてもをかしくないので
こんな無謀な事はしなかつた事でせう。
何故、深夜の田んぼ道へ向かつたのかと云ふと
畦道で蛙と一緒に成つて元氣良く眠ろうと云ふお話では
ありません。
先ほど、東武鐵道の南栗橋驛へ到着する直前に
車窓から巨大な箱型のビルヂング上に光るボーリングのピンを
一瞬目撃したからであります。其處は田んぼの向かう側に有りました。
恐らくは遊戲施設で、朝まで營業してゐるのに
違ひないと思つたのです。
驛から20分位はかかつたでせうか。途中、
大きな國道も横斷して
ボーリングのピンの下へ無事に辿り着きました。
早朝6時まで營業してゐるやうです。
そんなわけで、日光へ向かふ途中の宿は
「ラウンドワン」と云ふ名の今までほぼ無縁の
遊戲施設に決めたのでした。
さて、中へ入るとゲームコーナーやカラオケ場やダーツ場など色々有りましたが、
スポーツのコーナーへ入る事にしました。
店内は廣く、受附で全く初めての旨を傳へると
何となく得意さうに店員はこと細かに
此の娯樂施設の説明を始めたのでした。
書ききれない位、色々な遊戲施設があつて
とても全部試すのは無理なので
少々遊んだらマッサアジ椅子邊りで
假眠しようかしら、と思ひました。
受附を濟ますと、まづ最初に「ロデオ」が有りました。
こんな深夜に一人で「ロデオ」に乘るとは如何なものかと
其処は素通りしました。
先ほど、田んぼ道を歩いて居た時は殆ど人を見掛けませんでしたが
中は結構賑はつてゐたので驚きました。
結局、私が試してみたのは射撃、テニス、卓球
邊りでしたが、テニスも卓球も監獄のやうな所へ自ら入り
ひたすら機械から出てくる玉を打つと云ふ仕樣で
やればやるほど疲勞がたまり、加へて滑稽感すらある物で有りました。
そこでストレス測定を試してみると、診斷結果はずばり
「すごく疲れてやる気なし」と出ました。またコメント欄には
「ストレスレベルは5段階のうち最悪です。」と有り
今までに見た事がないやうな散々な結果なのでした。
そんな譯でスポーツを終へて
着替えを借りて、「岩盤ベッド」「カプセル式スパマシーン」
「ジェット足湯+酵素バー」
「アクアマッサージユニット」と云ふ樣なものを一通り試してみました。
「リラクゼーション」の部屋らしいのですが、人工的な慣れない機械に
圍まれては落ち着かず、妙な感覺でした。
其の部屋には結局夜通し誰も來ず、「岩盤ベッド」の上で一人
轉寢をして居りました。屋根があるのは有難い事です。
明け方に成つて、急に係員がやつて來て
「清掃します。」と告げたので、慌てて飛び起きました。
目が覺めた時には、自分が何處にゐるのか
いまいち把握出來ずに居りました。
そんなわけで、巨大遊戲施設を後にして、
早朝から再び南栗橋驛へ向けて歩き始めました。
昨晩は、全く見えなかつた緑色の田んぼが光つて見えました。
此れから一路、日光へ向けて出發です。
こんな所で、日光への旅【前篇】はお終ひです。
次回、【後篇】へと續きます。初めての日光はどうなりますことやら、、、。
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日本モダンガール協會 淺井カヨ
㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽㍽99年
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