一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨによる個人ブログ©️KAYO ASAI
日光への旅【後篇】東照宮と明治大正を巡るモガ紀行文
こんにちは。
日本モダンガール協會
(略してモ協)の淺井カヨと申します。
御待たせ致しました。
夏休み企劃第一彈の旅日記【後篇】を
御送りしたいと思ひます。
此方から御覽の方は、
【前篇】御話は電波塔から唐突に始まる
から御讀み下さると嬉しいです。
先日は土用の丑の日でしたので、
鰻膳を戴きました。と云ふ譯で元氣に
旅日記を更新致します。
【前篇】にて、南栗橋驛に就いて述べました所、
色々な情報を戴きました。
お讀み戴いた方より、
南栗橋に「ストリップ劇場」があるとの情報も戴きました。
誠に有難うございます。
また、モボの淺井カヨ郎に成つた曉には、
伺へるかもしれません。(・・・無理か。)
(前回掲載の例の本で)知恵は倍に成りましたか?と
尋ねて呉れた方もいらつしやいましたが、
其れはどうもうまく行きません。
さて、前置きは此の邊に致しまして
【後篇】東照宮と明治大正を巡るモガ紀行文を始めませう。
(今回は冩眞を大きめに致しましたので、是非拡大して御覽下さい。)
早朝に南栗橋驛を出發致しまして、
東武日光驛へは2時間以内に到着致しました。
日光東照宮があると云ふこと以外は、特に
豫備智識もなく參りました。急な旅でしたので、
觀光案内書などは勿論持つて居りません。
(と云つても現代の觀光案内書を見乍ら
旅をする事は、殆どないのですが。)
終點の東武日光驛へ列車が近附き
やや徐行を始めた頃、眞横に近代建築らしき
驛舎が現れ、目が釘附けに成りました。
東武日光驛へ降りた後、すぐに
其の驛舎の方向へと戻つて向かひました。
其処は東日本旅客鐵道日光驛でした。
此處に來られただけでも日光へ來たかいがあつたと思ひました。
車窓から見逃さないで良かつたです。
此処にも、例の電波塔の看板が!思へば昨晩、
此の電波塔を見てゐたら、急に日光へ行きたくなつたのでした。
もう遠い昔のやうな話です。
早速、日光驛にて市内地圖や散らしを集めました。
其處で氣に成つたのは日光田母沢御用邸記念公園と、
手描きで印刷された地圖にかかれた
日光東照宮のすぐ近くにあるらしい「明治の館」です。
説明を見ると、日本蓄音機商會の舊ホーン邸に
レストランがあると云ふので、お!と思ひました。
日頃自宅では手廻し蓄音機でSPレコードを聽き、
SPレコードに關係した會があればなるべく行きたいと
思つてゐるので、此れは天から行けと
云はれてゐるな、と云ふ感じが致しました。
驛で散らしを見てゐたら、さう云へば日光と言へば
日光金谷ホテルがあつたなア、と想ひ出したので
其処も行くことに決めました。
これで今日行きたい所が、大體決まりましたが、
まづは日光東照宮へ向かふことに致しました。
日光東照宮へは、驛前からバスに乘りました。
旅先にて知らないバスに搖られてゐると云ふのは
本當に氣分爽快です。一人旅を始めた高等學生から
其れだけは變らないのであります。
晝食は「明治の館」に決めたので、朝は日光金谷ベーカリーの
洋食パンと致しました。因にカレーパンを戴きましたが
カレーパンの歴史を考へて、問題なく戴きました。
日光東照宮へバスが到着致しました。
色々な言語で、ようこそ日光へと書かれた看板がありました。
さて、どれが何語でせう?
手描きらしき境内の地圖が有りました。
なかなか年代物のやうで嬉しくなりました。
日光と云へば、やはり陽明門ですネ。
三猿は、よく御土産で賣られてゐる物と大分違ひました。
一觀光客としてじつくり拜見致しました。
日光の建築については、昔から賛否兩論あるでせうが、私は
衝撃を受けました。小學生や中學生や外國人の團體や
兔に角、境内はたくさんの人で溢れ返つてゐました。
子供が澤山いたのは私にとつて救ひでした。
もしも境内がシンと靜まり返つてゐて、一人だとしたら
正氣を保てるかどうか自信がない、とすら思ひました。
三神庫邊りへ行つた時分は、全くの異界に來たと云ふ感じがして
惡い感じではなく、身體中がゾッとする樣でした。
見事な滿開の櫻の園で、もしも日中たつた一人だつたら、と云ふ感じかと
考へてみましたが、其れとも違つて居りまして
今までに一度もない感覺でした。
文章でうまく説明出來ないのですが、まだ行つてゐない人で
行くことが出來る人は、ぜひ日光へ出掛けてみて下さい。
實物を見て其の場の空氣に觸れてみなければ
わからない事は多いと思ひます。
感じ方は千差萬別で、私の樣に強い衝撃を受ける人もゐれば
ひよつとしたら二度と行きたくないとすら云ふ人も
ゐるのかもしれません。
其れ位、強い表現であると云ふことです。當たり障りのない
何となく良かつた、と言ふ所では決してないと思ひました。
日本酒の隣にウヰスキー樽があつて
思はず冩眞を撮りました。これぞ和洋折衷と云ひますか
何だか面白い光景でした。
奧社の唐門です。徳川家康墓へ參りました。
木立の小さな看板です。
日光東照宮のお寺をじつくり廻り、そろそろ晝食を認めようと
「明治の館」へ歩いて向かひました。
少し歩くと「明治の館」の看板が見えました。
「ぎゃらりー蓄音機」には鍵がかかつてゐて
中には入れませんでした。
陶藝品、硝子細工、版畫、裝飾小物等が展示販賣
されてゐるやうで、蓄音機が飾られてゐるわけではないさうです。
木立の中に、美しい洋館が現れました。
白いエプロンにロングスカートの女給さんの
姿が見えました。繪に成る光景です。拡大して見ませう。
正面の看板です。
1階には、明治43年4月に國産第1號として
發賣されたニッポノホン35型と書かれて飾られてをりました。
當時、35圓だつたさうです。
洋食の定番、オムライスを戴きました。洋館での食事は格別です。
蝶ネクタイの給仕と白いエプロンの女給が忙しさうに
店内を歩きまはつてゐました。どこぞの有閑マダムにでもなつた
積りで眺めてをりました。氣分は「モマ」ですネ。
(「モマ」が解らない人は、此方へどうぞ。)
店内は非常に混雜してゐて冩眞は撮れませんでしたが
明るく良い雰圍氣なのでした。
1階部分がレストランとして
使用されてゐました。では、2階、3階はどうなつて
ゐるのでせう。
勿論、此處で引き下がる私では有りません。
蝶ネクタイの給仕に建物を見せて下さいと頼むと、
あつさりオオケイして呉れました。
こちらは當時から變はらない照明器具ださうです。
2階にもホーンの冩眞が有りました。
東洋陶器株式会社(現在のTOTO)のラベルです。
2階へ上がると、洋間や浴室などかつての生活感すら感じさせる樣な
幾つかの小部屋がありました。
大きめの硝子製の取つ手(今までに見た中で
一等立派な物でした。)部屋の呼鈴、
家具、窓の樣式などじつくり見學させて戴きました。
浴室は、物置に成つてをりましたが タイル、猫足の浴槽など
當時のままで思はず感歎の聲をあげずにはゐられませんでした。
2階を見學し終へると、3階へ續く階段がありましたが
そちらへは絶對に上がれないのださうです。
矢張り洋館には祕密がつきものかしらん。
・・・と言ひたい所ですが、どうやら倉庫のやうです。
3階の階段のすぐ上邊りに、レコードが額裝されて飾られて居り
何の曲なのか氣に成りましたが、其處へ行くことは決して出來ないのでした。
雙眼鏡が有れば見えたかもしれません。
「明治の館」には、隣に別館があつて
建物だけでも見に行くと良いですヨ、と給仕から
教へられ、別館へと參りました。店名は游晏山房と云ふのださうです。
元々はメイド部屋で、疉部屋だつたと言ふ話も聞きました。
建物を見るだけにしようと思ひましたが、
折角なので午後の紅茶を樂しむことに致しました。
窓の外では、鵯(ひよどり)が水浴びに來てゐました。
何故、鵯かわかるのかと云ふと、鳥に詳しいからではなく
店主が鳥の圖鑑を持つて來たからです。
特に鳥好きと云ふわけではないのですが、
暫くその動きに魅入つてしまひました。
さて、美味しいケーキと紅茶を戴き、
歩いて田母沢御用邸方面へと考へましたが
何となく適當に歩いたら、日光金谷ホテルの近くへ到着致しました。
坂を登り、ホテルの前へと參りました。
憧れの日光金谷ホテルが、目の前に!
ホテルのボイが、建物前で
冩眞を撮りませうか、と言つて呉れましたが
其れはいつか泊まる時に、と
思ひまして、建物だけを撮影させて戴きました。
ホテルでは古の冩眞展が開催されて居りました。
いつか泊まれる日がくるのかしらん。
そしてホテルから坂を下りるとすぐ脇に、
日光物産商会の建物が有りました。
↓ 下は大正時代です。
此處も素晴らしい建物でした。
先ほど、紅茶を飮んだ許りでしたが、またしても
建物が見たいので、2階の喫茶店で
紅茶を飮みました。(人が居なくなった隙に撮影致しました。)
これから御用邸へ驅け足で行くよりは、
次囘じつくり廻る事にして、
此處でゆつくり過ごさうと思ひました。
硝子にみとれて居ります。
建物前に置かれた、ケエブル・カアにいたく感動。
行きはバスでしたが、歸りは
歩いて日光驛方面へと向かひました。
日光市役所も遠くから眺めました。
途中に骨董品屋や古道具屋があつて
面白かつたです。
特に氣に成つたお店は此処です。
精工舎の掌に收まる位の
小さな置時計を贖入致しました。
全く動きませんが、その佇まいに惹かれました。
驛の近くで湯葉料理を戴き
歸りは東武鐵道の特別急行に乘りましたので
あつと云ふ間に帝都へ戻つて來ました。
日光では、前日の奇天烈な動きとは打つて變はつて、
殆どが文化財を中心に廻つてゐたと思ひます。
讀んでゐる人にとつてはあまり新しい事はなかつたかもしれません。
現在、旅に出られる人も出られない人も色々な方がいらつしやるかと
思ひますが、何か一緒に旅に出たやうな氣分に成つて戴けたのなら
嬉しい限りです。
いつ何時、自分の身に何が起こるのか、此れ許りは
わかりません。周りの人に何が急に起こるのかも、私にはわかりません。
身體が動く内に色々な體驗を通して、
見聞を深めたいと思つて居ります。
無機質なインタアネットの液晶畫面も、最終的には外へ出る
きつかけや誰かと出會ふきつかけの爲にあるのだと私は思ひます。
インタアネットの中だけでは、決して完結しない樣に、
現實に何かを經驗するきつかけを作る爲の道具で有る樣に、私自身は
此れからも附き合つていきたいと思ひ旅日記を認めました。
これで2日間の短い旅日記を終へます。
後日、近所の古道具屋で以前から賣られてゐた
三猿の小さな置物を手に入れました。
店主が、「それ、日光の木彫りだネ。」と云ふので、
「日光へ出掛けた後に、買ひ度いと思ひましてネ。」と
答へる私でありました。
三猿
今週末は、日本大正村訪問の爲、再び
岐阜縣へ參りますので、また旅の話が
何処かで出來ることかと思ひます。
其れでは、次回まで左樣なら。
健康を祈ります。
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