一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨによる個人ブログ©️KAYO ASAI
追憶、 雨の足助より
いかが御過ごしでせうか。
日本モダンガール協會(略してモ協)の淺井カヨであります。
夏休み(くどい樣ですが既に終はつて居ります)企画第三彈と
致しまして、今夏訪れました足助(あすけ)での
冩眞を中心に御送り致します。
今回は、足助(愛知縣奧三河)の旅へと誘ひませう。
足助行きの前に、郷里(尾張)の家へ一寸戻りました。
前夜、帝都から夜行バスに乘つて早朝に到着したのですが、
戻つて直ぐに、いきなり家中が停電になつてしまひました。
その日は、蝋燭の燈だけで朝食をとりました。
幼少の頃に家の前で落雷があつて、停電になりましたが
其れ以降の停電は、一度も有りませんでした。
配電盤の中を見たら、陶器製だつたので
嬉しくなつてしまひました。
(ちなみに昭和30年代に建てられた家であります。)
父親が外へ出て周圍を見渡すと、近所の電氣は信號も含めて、
全て消えてゐたのださうです。
暫くするとパトカアのサイレンが
邊りに鳴り響いて居りました。 ▼開けて嬉しい配電盤
停電の後、尾張での用事が濟んで、
いざ名古屋鐵道に乘つて、三河方面へと向かひました。
▼此の時乘つてゐたのは、昭和52年の車輛でありました。
▼ 吊廣告で、松坂屋名古屋驛店※の閉店セールの
廣告がありました。
松坂屋名古屋驛店は、1階高級化粧品賣場のすぐ眞横に、
漬物やら、郷土の土産品やらが
ズラリと並べられて賣られてゐると云ふ
混沌とした光景が、實に面白い百貨店なのでした。
其の光景も、つひに8月で最期となつてしまひました。
注※ 松坂屋名古屋店(榮)は營業中であります。
▼三河にて地元の友人らと會ひ、雨の中でしたが案内をして戴いて
足助散策を致しました。最初に目に飛び込んで來た建物が
此方です。嗚呼、わくわくせずには居られません。
▼ 歩いてゐたら、外壁に現れた扉です。
銀行だつたのださうです。(扉は一部であります。)
▼硝子製の大きなショウ・ケエスに見とれてしまひました。
生き人形が立つて入つてゐたら怖いだらうな、
などと考へて居りました。
▼足助では、豬鍋が名物なのださうです。
町歩きの途中で、豬肉が入つた「シシコロッケ」を
初めて戴きました。
獸の味がきついかと思つたら、そんな事は全くなく
食べやすくてトテモ美味しゆうございました。
店の横の壁には、毛皮が吊り下げられてありました。
季節によつては、もつと澤山ズラリと竝ぶのださうです。
▼【旅籠】三嶋屋の説明文です。
▲足助人の何かがしのばれます。
「何か」とは一體何ぞや、と地元の友人らと話しました。
(結論は、出ず、、、。)
▲三嶋館であります。
▲街道沿ひに、舊家が竝んで居りました。
▲印象的な建物が澤山有りました。
▲引戸や、何氣なく飾られた植物も、私にとつては
何處もかしこも繪に成る光景でありました。
▲とある洋品店にて、學生服などが賣られてゐたので
古い學帽はないか、と店主に尋ねました。
「學帽はもう10年位、賣つてゐない。」と店主は云ひ乍ら、
在庫品の學帽(千円也)を何処からか出して呉れました。
いづれ必ず何かの役に立つことでせう。
▲此の坂道が特に素晴らしかつたのです。視界の
全てが、當時の風景のやうで夢心地でありました。
▲ 目前にアサヒ・ビールの大きな看板がある建築が!
「これは見せたかつた。」と
地元の友人が言つて呉れまして、大變嬉しゆうございました。
▲窓の形(右側)などがタイヘン獨特でありました。
現在は、活用されてゐない樣なのですが
此処も殘つて欲しいなア、と思ひました。
▼足助にて建築の探訪などを行つた晩に友人宅にて
子供たちと花火などをして、如何にも夏休みらしい一日を
過ごせました。(有難うございました。)
今回は、奧三河の足助での冩眞を御送り致しました。
知らない町をもつと歩いてみたい、と思ふ今日此の頃であります。
其れでは、また近い内に御目にかかりませう。
御機嫌よう。左樣なら。
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