日本モダンガール協會の「週刊モガ」

一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨによる個人ブログ©️KAYO ASAI

第21回「週刊モガ」連載再開、雜文當世モガ事情

 

 

 

 

連載第21回「週刊モガ」連載再開、雜文當世モガ事情

御機嫌いかがでせうか。
日本モダンガール協會淺井カヨです。

3月から隨分と御無沙汰してしまひました。
前回の記事を御覽になられて、
御言葉を下さつた方々へ深く感謝を申上げます。
悲しみの只中にゐる時に、心のこもつた
御言葉にどれ程救はれたか、と云ふ事を
改めてお傳へしたく存じます。

人生に於いて諦めなければ
ならない事は、多々有りますが、
2月に急逝した母に關して、未だに諦める事が
出來ないまゝです。母を想ひ出さない日はなく、
此れから一生、母と共に生きていくことに
なるのではないかと考へて居ります。
母には申し譯ないのですが、今は
其れで氣が樂に成りました。

母にとつて「死」に關する話題や忌み言葉を
使ふことは絶對的なタブーでした。
「死ぬほど疲れた。」と云ふ樣な譬喩表現すらも
一切口にする事が出來ない環境で、私は育ちました。
母がどんな死生觀を持つてゐたのかはわかりません。
殘されたメモなどを見る限り、急に人生を
終はらせたいと思つたとは考へられず、
もつと生きたかつたと思ひます。

もうなくなつてしまつた
かけがえのない場所や建築、
二度と會へない大切な人々とも、
忘れないで覺えてゐる限りは、
心の中で生きてゐるのだと思ひますから、
立ち止まらないで前へ進みたいと思ひます。
生きてゐる者は、覺悟を持つて
生きるべきだと改めて思ひました。
いつ死んでも好いと云ふ心構へを
常に持て、と云ふ事です。

今後は、どう生きたいのか、
またはどう生きたくはないのか?
最期の場所は何處で、誰に何を傳へたいのか?
自分の人生が終はる時には、どう思ひたいのか?
漠然とではなく、はつきりと
改めて考へ直す必要があると思ひました。

バカは死ななきや直らない、と云ふ事で
一生バカである覺悟だけは持つて居りますけれど、、、。

何かを極めようとしてゐれば、必ずや何かを失ひ
何かを選びとつていけば、必ず何かを捨ててゐる
とは、此の世の眞理です。

最初から重い話が續いてしまひました。

今回の「週刊モガ」は、先へ進むごとに
段々内容が輕くなつて行くと思ひます。
最後はどうなるのか、認めてゐる本人にも
今のところわかりません。

餘談ですが、明治生まれの母方の祖父は
ニッカボッカを履いて、ハンチング帽を被り、
テニスを嗜み、英語が堪能だつたのださうで、私の樣な
僞モガではなく、本物のモダンボーイだつたとの事です。
因に相當尾張辯訛りの英語だつたのださうですけれど。
尾張辯では、「大根」の發音が「diyeakon」と云ふ發音に
近いので、英語の發音と尾張辯は似てゐるのだ!と云ふのが
中學生時代の英語教師の主張でありました。
・・・ホンマかいな。

祖父は私が物心のつく前に他界して居りまして、
當時赤ん坊だつた私を見て
「この子を踏んだら、死刑だな!」と云つてゐたと云ふ話だけは
後年に成つて、母から聞きました。
祖父は、下手でも何でもやつてみる、と云ふ御方だつたのださうで
直接話した事がなくても、見えない所で影響を受けてゐるなアと
感じて居ります。

扨て、お話はガラリと變はりまして
冒頭の冩眞は、初臺驛近くの「画廊・珈琲 Zaroff」にて
「レコード・ガール」或いは「レコード係」を
仰せつかりました時の記念冩眞です。
タンゴが中心の定例SPレコード・コンサートへ客として
暫く通つて居たのですが、最後の2回(3月、4月)に、
御手傳ひで蓄音機のハンドルを廻しました。
(好きな曲も數曲掛けさせて戴きました。)
ご來場のお客樣から、
「異次元に來た。」と云はれて、をかしかつたです。

をかしいと云へば、去年の「大正時代まつり」の
冩眞コンテスト結果は、こちらなのですが、、、。

「ママ何か変だよ!」 

(・・・た、確かに変ですネ。ハイ、、、。)

「画廊・珈琲 Zaroff」では、不思議な企劃が
色々と開催されてゐるやうです。
「ジョウシャン・ジョウシャン」と云ふ言葉を初めて耳にして、
「ジョウシャン」とは何ぞや?と思ふと、其れは
「繩文シャンソン」のことでありました。

(あ、繩文シャンソンのことネ。)と、

納得したい所でしたが、むしろ
(繩文シャンソンとは一體何ぞや?)と
思はずにはゐられません。

今春、メゲた時には「繩文シャンソン」と云ふ
言葉を一寸思ひ出すと、氣分轉換に成るのでした。

「剥製愛好会」と云ふ會も氣に成ります。
參加者は、自分の愛好する「剥製」を自宅から持參して
二階のサロンに集まり、剥製の状態等に就いて
話合ふのださうです。剥製よりも、一體どんな方々が
此の會に參加されるのか、私の興味は盡きず
參加してみたい事よなア、と思つて居りましたが
用事と重なつてどれも伺へず、ジョウシャンも剥製の會も
未だ謎のままです。(次回はUFOシャンソンとやらを
開催するらしいのですが、、、。)

以前から個人的に開催したいと
思つてゐる行事の一つは、
「愛國百人一首かるた大會」(昭和18年定本版)
なのですが、他の企劃も複數考へて居りまして、
決まりましたら、必ずや此方で告知をいたします。

「君がため花と散りにし ますらをに
 見せばやと思ふ 御代の春かな」 加納諸平

元來、珈琲が苦手な私なのですが、
「画廊・珈琲 Zaroff」のアイス珈琲は
美味しいと思ひました。私は、僭越ながら
尊敬する青山繁晴氏と同じく、社交辭令を
云はない主義なので、本當です。

お店と云へば、西荻窪に「名曲喫茶」ならぬ
「THE"ロック"食堂 」と云ふお店が有りまして
機會があつて、昨今何度か訪れました。クラシックではなく
ロックのリクエストが出來るお店なのださうです。
まだリクエストをしたことは御座いません。
ロックなので、アチャラカの料理かと
思ひましたら、何故か秋田料理で
美味しい郷土料理が、矢鱈に廣い店内で戴けました。

其處には、「アイスドリアン」と云ふ秋田縣横手市の
大正5年創業の小松屋本店のアイスクリームが
有ります。2代目が大東亞戰爭中に南方で召上つた
「ドリアン」の食感をイメージして作られたのが
「アイスドリアン」なのださうです。味ではなく、
食感と云ふ所が面白いです。「んめど~。」でした。

なまはげと共に店内に下がつてゐる御人形はあまり
御薦め出來ません。何故なら其れは、ビニル製のダッチワ(以下自肅)。

さて、澁谷の文化村でレンピッカ展を觀ました。
特に昭和初頭に描かれた作品群は壓卷で
有りました。
以降の作品も精神性を感じ興味深く感じましたが、
矢張り、昭和初頭の作品が持つ力強さに、
レンピッカのみならず
當時のレンピッカを取り卷く世界が如何に
強烈であつたかと改めて思はずには
いられませんでした。
レンピッカ展を觀た後は、
澁谷の名曲喫茶ライオンへ參りました。

此の所、澁谷周邊での用事の後は
かならず名曲喫茶ライオンへと通つて居ります。

そんな或る日、ドアに「バンバンバザール」と書かれてゐて、
オヤ?と思ひましたが、隣の店のドアである事に
半分開けてからやつと氣が附いて、ドアを閉めて
隣のライオンへ移動しました。私は、本當に
周圍の皆樣からのご指摘通り、相當な「ドジつ子」で
あるやうで、最近になつてやつと其れを
自覺する樣に成りました。
ナゼ?そんなことが出來ないのか!と云ふ事も
日常生活で多々ありまして、其れでも今日まで
無事に生きて來られたのですから、
全ての不器用な同士に、此の文章を捧げます。

今、何かが辛いと思つてゐる方へ。
萬事、同じ状況である事は決して有りません。
つらいと思ふことには、必ず原因が有ります。
其れを自らの力で、時間を掛けても突き止めて下さい。
誰かに會ふことか、なるべく會はない方が良いのか、
行動を變へてみる事か、本を讀むことか、旅へ出ることか、
少しでも可能性のある方法なら
片つ端から試すことが重要です。
一人であつても、一人だけで生きてゐるわけでは
決してありません。
自らの命を自らの手で
終はらせる事だけはない樣に、どうか
其れだけは、私と約束して下さい。

先日、名曲喫茶ライオンへ出掛けた後に
澁谷驛で大勢の觀衆に取り圍まれた
不思議な御爺さんに遭遇致しました。
最初は遠卷きに觀てゐた人々も、誰かが撮影を始めたら
一齊に若者を中心に冩眞を撮り始めました。
アッパッパー(upaparts)の樣な洋服にさんだる、胸元には何か
大きな物が入つてゐて異樣に膨らんで見えます。
髭面に不思議な色の眼鏡を掛け、頭には大きな白い電傘を被り、
其の上に無數の人形が幾つも幾つも固定されてゐます。
複數の生きた蟹や金魚が、水の中に入つたフラスコの中で
ぐるぐる廻って居りまして、一度見たら
おそらく一生は忘れないと思ふやうな
見事な風貌で有りました。
これぞ千載一遇の出會ひです。

最初は遠卷きから、何か怪しいゾと思ひつつ
氣が附いたら、御爺さんの眞正面に
一人で立つて居た私で有りました。
そして、また氣が附いたら御爺さんに
話し掛けてゐるではありませんか。

淺井カヨ 「作るのにはどれ位かかりましたか?」
蟹御爺さん「材料が揃へばそんなに時間がかからないけど、
揃へるのが大變でネ、、、。」

などと、雜談をさせて戴きました。
嗚呼、我乍ら好奇心が強い女です。
一體、長い人生を通して、何故
金魚や蟹をぶら下げる樣に
成つていくことに成つたのか
其處は聞けず仕舞ひでは有りました。

或る時、久方振りに會ふ友人から、
かう云はれました。

「カヨさんつて、興味のある人と
ない人がもの凄くはつきりしてるわネ!」

此のウェブログを讀んでくれてゐる御方は
恐らく私にとつて興味がある方だと思ひます。
怪しいと云ふ意味では決してなく、、、。

然し、こんな時は氣をつけなければなりません。

先日、新宿驛南口を歩いてゐると向かうから
中折帽に背廣、胸にはハンカチーフの一見紳士風の
御老人が居りました。なかなか
御洒落な御方ネ、と思つてチラリと見ると、
御老人は何故かこちらへ足早にやつて來ました。
こちらの裝ひに興味を持ち、服裝を襃めてから、
「喫茶店で御茶でもどうでせう?」と
突然のランデブーに誘ふのでした。
私は樣々な御老人から當時の聞き込み調査をしてゐるのですが、
(勿論、知己を通してが殆どです。)
良い御老人で、當時の話が聞けるかもしれない、と
一寸だけ期待を持つて立ち止まると
次に御老人が發した言葉は、
「ホテルへ行きませう。」なのでした。

!其れは無理です、と後ずさりをして
足早に其の場を立去りましたが、
相手の格好と年齢につい油斷してしまひました。
前述の怪し過ぎる蟹御爺さんの方が
全く紳士的でありました。

然し乍ら「週刊モガ」の格好のネタに成るな、と
苦笑したのであります。少しでもついて行かうかと
思つた時點で、危險でした。(當たり前か。)

雜談をもう少し續けます。

昭和9年發行の「自宅で病氣が治せる
民間療法全集」(婦人倶樂部十一月號附録)

を時々パラパラとめくつて居ります。
元は父方の祖父の藏書です。
其処に 耳の病氣→耳だれ の
欄がありまして「百足(むかで)の油」と
言ふ項目があります。

面白かつたので、説明文を拔粹いたしませう。

「百足はなるべく傷つけぬやうにして捕へ、
生きたまゝ小壜に入れ、
百足の體がひたひたに被さる程度に、
胡麻油か菜種油を注ぎ入れます。
百足は大小何匹でもよく、
多ければ多いだけ油の量を増します。
これは永く置くほど
效目があるのですが、
少くとも一晝夜以上置いた後、
一日二回、一回に二、三滴づつ
綺麗に掃除した耳の孔へたらし込み、
其の後を脱脂綿で栓をして置きます。
この油は、中耳炎の他に、
切傷や毒蟲に刺された痛み止めにも效果があります。
なほ、油が切れましたら
更に新しい油を加へ、
暗い所に貯へて置きます。
これによつて全治したといふ報告を
よせられた方が十數名ございました。」

スワ!百足を生きたまゝ小壜に!と、最初はおのゝくのですが
大正・昭和初頭を追求する端くれとしては、
(嗚呼、これもやるべきか知ら?
足が多いのハ怖イヨー)と自問自答致します。
幸か不幸か百足は、何處にも現れませぬ。
インタアネットで百足油に
ついて調べると、澤山出て參りましたので
有名な民間療法のやうですね。
數ヵ月後には、百足がとろけるやうに成るさうです、、、。

さう云へばうちのおばあちやんやおぢいちやんが
なにやら不思議な小壜を取り出しては
火傷に使つてゐた、と言ふお話を
御存知の方は、ぜひ「週刊モガ」淺井カヨ
御知らせ下さい。(祖父が試したかどうかは、
今と成つては分かりません。)

昨今、出掛けた興味深い場所も多く有りました。

「横濱骨董ワールド」では、
4號電話專用のオルゴールを買ひました。
受話器を置くと、オルゴールの音色が流れます。
昭和生まれの御仁にとつては、御馴染深い物でせう。
今の電話機には、保留音が内藏されて居りますので
どちらかと云へば珍しい物と成つてしまひました。
黒電話を愛用する私にとつては、嬉しい品物です。
オルゴールの曲目は「天然の美」です。

全くの餘談ですが、初めて「天然の美」を聞いたのは
「ビートたけしの学問ノススメ」と云ふテレビドラマで、
それ以來、「天然の美」が一等好きです。
(26年前の話なので、わかる人は少ないかしらん。)
明治時代の曲である事を知つたのは、もつと大分
後の事でした。先ほど、足が多いのハ怖イヨー
と書いたのは、このドラマを急に想ひ出したからであります。

4號電話機も良いのですが、遂に長年の夢で有りました
3號電話機(昭和8年以降)が今春入手出來ました。
以前にも申しましたが、4號電話機から3號電話機への
初めての機種變更の夢が遂に叶ひさうです。
これぞ、「機種變」と云ふ事ですな。

3號電話機は私にとつては高價で、入手は難しいと
諦めて居たのですが、見知り越しの古道具屋に
手の屆く價格で入荷して居り、狂喜致しました。

自宅に效果音を集めたSPレコードがあるのですが
此處に昔の電話機のベル音が入つて居りまして、
蓄音器で此のレコードの電話の音を自宅で聽いては
憧れを持つて居りました。
 
と、此處まで書いてゐて自分でも一寸
をかしな人だと思ひましたよ、、、。
私にとつて未來と云ふのは過去へ遡る事かもしれません。

友人に當世流行の「あいふおん」なる物を
觸らせて戴きましたが、ただ近未來だな!と思ひましたネ。

自宅のパアソナルコンピューターは大分壞れて居りまして、
本當は邦文タイプライターで打ち度い所ですけれど。

御話は横濱に戻りますが、
横濱へ行くと、馬車道の勝烈庵で食事をした後に
向かひの馬車道十番館で
紅茶を飮むのがいつもの私の動きです。

天井の高い明治風のカフヱーが好きで、
東京驛近くの「CAFE1894」も天井が高くて
すてきです。三菱一號館美術館の隣に
昨年開業して以來、時間を見つけては
時々通つて居ります。混んで居なければ
御薦めのカフヱーです。

此の頃の變はつた經驗としては、
初めて「うたごえ喫茶」へ連れられて
出掛けた事でせう。何事も經驗です。
其処は新宿の雜居ビルの中に有りました。
萬が一妙な思想を植ゑ附けられさうに成つたら
粉碎してやる、と云ふ氣持ちではございましたが、
單に大勢で唄ふだけの場所でした。
團塊世代が多く、此處で30代ではまだ
ヒヨコだな、と云ふ感じが致しました。
「蘇州夜曲」や「ゴンドラの唄」を唄ひましたが、
フォークソング許りかと思つたら、
大正や昭和初頭の曲も有りました。

知る人ぞ知る「バー銀座パノラマ」では、
南滿州鐵道の特急列車「あじあ」號の「あじあカクテル」の
「スカーレット」と「グリーン」を戴きました。
何年も前に、幻のカクテルを出す店が銀座に有りますヨ、と
教へて戴き、いつか行きたいなアと思つてゐたので、
嬉しゆう御座いました。隣の海軍酒場 倶楽部「宜候」も
特筆すべき御店で御座いました。

先月の主権回復記念(祈念)日には、九段會舘へ參りました。
昭和27年4月28日、日本が占領から
解放された日を決して忘れてはならないのです。

さて、そろそろ此の邊で「週刊モガ」を纏め度いと思ひます。
特にさしたるテーマもなく、脈絡のない全くの雜文が續きましたが、
何か一箇所でも印象に殘る場面がございましたら、幸ひです。

其の時の感情で刹那的に生きるのではなく、
5年後、10年後にかう成りたい、と考へる事は私自身は
重要だと思つてをります。フワフワと何となく生きて行くことは私には
出來ません。今年は後半に掛けて、色々な活動が
増えると思ひますので、また宜しければ今後とも
御附き合ひの程、御願ひ申上げます。
其れでは、次回まで御機嫌よう。有難う御座いました。
 
日本モダンガール協會 淺井カヨ 
 

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