淺井カヨの 個人ブログです。 ©️KAYO ASAI
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撮影:T女史

連載第17回「週刊モガ」 昭和4年婦人用實用自轉車來たる

ご機嫌如何でせうか。 ご無沙汰いたして居ります。

昭和8年に冷煖房完備の日本橋高島屋は
どの位涼しかつたのかなァ、と
自宅で扇風機にあたり、蚊にたべられ乍らも考へる
日本モダンガール協會淺井カヨです。

隨分、久し振りの「週刊モガ」更新と成りました。
モダンガールを追ひ掛ける事をやめた譯でも、
大正時代へ出掛けて戻つて來なかつた譯でも有りません。
樣々な出來事が起こり、再び此處へ戻る事が出來ました。

久し振りの更新で前半は重いお話で
恐縮ですが、思ひ切つて認めます。
此處で此の樣なことを傳へるのは
最初で最後に成ると思ひます。

私が此の樣に活動していくことを、正氣の沙汰ではない、
頭がをかしいと思ふ方も少なからずいらつしやるでせう。
生きていく上で今までに相當な數の人を傷附けて來ました。
恐らく此れからもどこかで人を傷つける事はまのがれないでせう。
自分の未熟さ故に、過去に自分が犯してしまつた事は、
二度と繰り返さない爲にも、眞摯に受け止める積りです。
此れは己自身の胸に聞けばよくわかる事です。
自責の念から、前へ進まないでゐる事は出來ません。
私は、前へ進む勇氣を持ちました。
淺井カヨと云ふ人間と關はつて、嫌な思ひをするのであれば、
一刻も早く、私と云ふ存在を完全に忘れて下さい。そして
周りの大切な方々の爲にも、充實した一生をお送り下さい。

私は、自分が生きていくことによつて
誰かを傷附けると云ふ危險を、今さら乍ら
初めて背負ふ覺悟が生まれました。

私にとつて、生きる事は表現です。

此れからやつていく活動に對して、
「此の人は本物の馬鹿者だ。」と
思はれようと、全く氣にしません。

私はやがて死ぬ運命です。
そして此れを讀んでくれてゐる人も同じ運命です。

死ぬまでの時間は有限です。
いつまで續くのかは誰にもわかりません。
然し、私の時間は遲かれ早かれいつか確實に止まります。

大切なことは、人としての貴重な時間を
どう生きるかと云ふことだけです。
前世も生まれ變はりも信じません。
さう云ふ價値觀がある事は勿論否定しません。
此の世には、絶對的な正しい事など
存在してゐないと私は考へます。本當の世界と、
感知出來る世界には、物理的にも時間的なずれがあり
目に見えてゐる事すら、本當ではありません。
一人一人が 決して交はる事のない別の世界の住人です。

全員が、絶對的に違ふ世界の中で
影響を與へ乍ら、生きてゐると言ふことです。

日本のモダンガールを目指すのは、
まづ何よりも其れが好きだからです。
其の氣持ちを誰に止められませうか。

モダンガールとしては、
發展途上である事は百も承知です。
完璧なモダンガールとは程遠い存在です。然し
モダンガールを追ひかけていく
其の過程にこそ意味があるのだと
強く思ひます。
先人の素晴らしいモダンガールに少しでも近附きたい、
自分の理想とするものに、一生を掛けて
どこまで追ひ掛けられるかは、
わかりません。其れに挑戰していくことに
意味があるのだと思つてゐます。

私の姿は滑稽でせう。
笑ひ者に成つてゐる事もわかります。

でも、たつた一人でも此の道を
究めていくことしか私に出來る事はないと考へます。
例え誰かを敵に囘しても、私は自分を僞つて
生きる事だけはしたくありません。

或る日、某會で話し掛けて呉れた女性がゐました。
彼女は私の姿を何度か見掛けてゐて、
ずつと覺えてゐて呉れたのださうです。
彼女は不完全な私を「モガ」だと認めて呉れました。
そして、美しいと言つて呉れました。此のウェブログの
更新が止まつてゐた時、私は自分のことだけで
精一杯でした。數日前、彼女が自ら命を
絶つてしまつた事を知りました。突然の出來事でした。

止まつてゐられる時間はないのだと、
私ははつきりと悟りました、、、。


       ★


扨て、お話を變へて
本題に進んでいきたいと思ひます。
今週のタイトルは、
「昭和4年婦人用實用自轉車來たる」

あります。
更新が止まつて居りましたので
此の先は、一寸前のお話に成りますが
お附き合ひ下さいませ。

現在、私は新宿驛南口の
デパアトメントストアの屋上庭園の前にある
レストランにて紅茶を飮み乍ら
「週刊モガ」を認めて居ります。
緑多き屋上庭園に居りますと、
此處が新宿であると言ふことを忘れさうに成ります。

歐羅巴某國在住のH氏よりご紹介戴いた
T氏とK市でお會ひしました。
T氏の車庫には、澤山の貴重な自轉車が有り
まるで自轉車博物館かと思ふ樣な
素晴らしいコレクションでした。
其の中に「ナイチンゲール號」が有りました。
私にとつて夢の對面でした。
T氏の中庭で試乘させて戴くと、
やや大きな感は有りましたが初めて乘る
戰前婦人用自轉車にひたすら感激しました。
「神戸ナイチンゲール製作所」の自轉車で
制作年數を調べて戴いた結果、
昭和4年である事がわかりました。
この年は、私にとつて重要な年で有りますので
勝手乍ら何か運命的なものを感じました。
ナイチンゲール號は、
自轉車をこよなく愛するT氏が
大變な手間を掛けて修理され
現代に蘇らせた自轉車です。

縁あつて讓つて戴くことに成りましたが、
私にとつて生涯忘れない出來事の一つでせう。

自轉車に關しては
一つ苦い經驗が有ります。

何年か前に、ブリヂストン製のロココと
云ふ黒い自轉車を、改造が得意な自轉車屋に頼んで、
昔風に作り變へて貰ひました。
前籠を外して方眼ライトを附けたり、
荷臺を取り附けて貰つたりして、「モガ號」と名附け
大層氣に入つて乘つてをりました。
其の自轉車は、鍵を掛けておきましたが、
ある日忽然と姿が見えなくなりました。
其の後警察に聯絡して、街中歩き囘つて
隨分探しましたが
結局今も見つかりません。
自轉車を失くしたショックは大きく、半年以上は
どの自轉車にも乘る氣が全く起こらず、
其れでも矢張り自轉車は不可缺でした。
今度は古い自轉車を探さうと思ひ始めた矢先に
H氏より聯絡がありました。
それから、ナイチンゲール號に
出會へたと云ふわけです。

知人の話によりますと、改造して呉れた自轉車屋には
「モガ號」の冩眞が飾られてゐて、店主は此の自轉車には
「ハイジちゃんが乘つてゐるのだ。」と
云つてゐるのださうです。
「ハイジちゃんには、此の自轉車が良く似合ふ。」
のだと云ふ、、、。

ハイジちゃん云々は置いても、
(何故、ハイジちゃんなのでせう。ハイジは斷髮か?)
とても申し譯ない氣持ちに成り此の自轉車屋へ再び訪れる事は
出來ないのであります。

T氏とナイチンゲール號と對面した後、
鎌倉のカフヱー「ミルクホール」へ參りました。
現在營業してゐる喫茶店の中で
個人的には、確實に全國十位に入る喫茶店であります。
ジャズが流れる店内には、骨董屋が併設されてゐます。
モダンガールの横顏が描かれた
ミルクホール特製のデミタスカップと、
中原淳一慰問繪はかきを贖入しました。
ミルクホールは、鎌倉へ行く度に必ず訪れます。
モガモボの行くべき場所の一つでせう。
甲府へ行く度に訪れるのが、六曜館珈琲店。
横濱へ行けば、馬車道十番館。
京都へ行けば、フランソワ。・・・・等々。

後日、更に乘りやすくして戴いてT氏は近所まで
ナイチンゲール號を自家用車で運んでくれました。
其れを「お嫁入り」だと表現されてゐました。
彼女(?)を一生大切にします。と心に誓ふ
わたくしでありました。彼女とはSの關係なのでせうか。

嗚呼、、、。
此の自轉車に昭和4年當時に乘つてゐた御婦人はどんな女性
だつたのでせう。
屹度職業婦人で、大層御洒落でモダーンな
本物のモダンガールであつたのでせう。
當時の自轉車は、大變高價な
物だつたでせうから、神戸の御令孃が
乘つてゐたのかも知れません。

そんなわけで、婦人用實用自轉車に乘る
素晴らしい日常が始まりました。
實用自轉車と云ふと重いイメエジが有りますが、
婦人用なので全く重くありません。
前輪、後輪用に頑丈で大きな輪状の鍵を入手しました。
或る日、自轉車に乘つてゐた時に
其れらを鞄に入れて、
見えない樣にしてハンドルに引つ掛けて
居りました。
地元驛周邊を夢見心地で乘つてゐると、
背後から別の自轉車が
ピッタリと附いて來たのであります。
何だか白い車體が見えました。
何だ、何だ!?と思つて振り返ると、
其處には警察官が居りました。

先づは、鍵はどこにあるのかと質問を受け、
二つの鍵を鞄から出して見せると、
警察官はやや安堵した顏に成りましたが、
何處で手に入れて、いつから乘つてゐるのか、
防犯登録はしてゐないのか、等々、
延々と警察官の質問に答へる羽目に成りました。
ヤレヤレ、、、と思ひ乍ら
やつと解放され、家路についたのであります。

そんなわけで、後日に自轉車屋で防犯登録をしました。
まづ、メーカー名は「神戸ナイチンゲール製作所」。
車體番號は、全て漢數字で書かれてゐたので、
必死に讀みましたが
結局「不明」と書かれ、ポカアンとした自轉車屋の
をぢさんを横目に自轉車屋を後にしました。

近所の骨董祭りへナイチンゲール號で出掛けました。
自轉車置き場に自轉車を置き、暫く其処を離れると
黒山の人が集まり、興味の的と成つてゐました。
骨董業者や、骨董ファンのお客さんには
可也印象に殘つた事でせう。
其の後、まだ面識のない樣々な骨董屋を訪れましたが、
可也の確率で、「あの自轉車の人だ!」と云はれました。

骨董屋の軒先に自轉車を止めると、別のお客さんが
「此の自轉車、いつの物でせう。」と
店主を呼んで尋ねている事もありました。

唐突にお話が變はります。

横濱から夜行バスで愛知縣岡崎市へ向かひました。
時間があつたので、地下街のコインロッカアへ革トランクを預け、
發車時間直前に戻つてみると、コインロッカアにどうやつても
辿り着けません。一體どうしたものかと思つて居ると、地下街が
既に閉まつてゐて、鍵が掛かつて中へ入れないのでした。
其処で、警備員に事情を話して
鍵を開けて貰ひ、誰も居ない地下街を全速力で
走り拔け、コインロッカアへ辿り着き、
急いで中を開けて革トランクを持ち
警備員に走り乍ら御禮を言つて地下街を後にしました。
私は元陸上部員であります。
夜行バスの乘車時間はとつくに過ぎてゐましたが、
あまり聞いた事も無い格安バス會社で
バスは定刻に發車しなかつたので、
何とか間に合ひました。
深夜のコインロッカアには注意しませう。
そんな間違ひは私だけでせうが。

早朝、岡崎へ到着しました。

美術館が開くまで可也の時間があつたので
困つてしまひました。

開いてゐるのは驛舎前の〇クドナルド一軒のみ。
早朝の寒さと空腹に耐へられず、忸怩たる想ひで遂に
入りましたが、(一體、何年振りかもわかりません。)
入つた直後に後悔して居りました。

私の居場所は其の店の
どこにもありませんでした。せめて新聞紙でもあれば、外でも
何とか成つたかもしれませんが、生憎何も見つかりませんでした。

岡崎市美術博物館にて「あら、尖端的ね」と言ふ
展覽會を見ました。岡崎での展示でしたが、
内容は東京を 主題とした物が多く有りました。
此の展示は、昨今の戰前研究の
成果の一つである、と云ふ話を北千住の
バアのマスタアに伺ひました。
最近見た昭和モダンに關する展覽會の中では
尤も見応へのある展示でした。
「あら、尖端的ね」では、
モダンガールの横顏が廣告として
上手く使はれてゐて良い雰圍氣でした。
岡崎の近代建築巡りもしました。

建築が餘りに素晴らしかつたので
つい往路一人で不敵な笑みを浮かべてゐたら、
向かうから來た、をぢさんにぢつと見られてしまひました。

携帶電話を持たない私でありますが、
持つてゐたらいいなアと思ふことが
1つあります。其れは、
ひとり言が云ひたくなつた時や
突然路上で笑ひたくなつてしまつた時に
電話さへ耳に傾けてゐれば、
誰も怪しまないと云ふことです。
と云ふわけで、今の所
携帶電話を持つてゐる人が
いいなあと思ふのは、
「それ1つだけ」であります。他にもあると
云はれさうですが、、、。

翌日、名古屋の大須觀音にて
ホット・ハニーバニー・ストンパーズと云ふ樂團の
M氏と大須觀音で雜貨屋を營む素的な
女性と友人の紹介でお會ひ出來ました。
ホット・ハニーバニー・ストンパーズのライヴへは
まだ出掛けた事はないのですが
「大正時代のパンクス?」と
散しに書かれてゐたのを以前帝都で見つけて
何年も前から氣に成つてゐたので有ります。

M氏は、プレゼントを持つて來て呉れたと云ひ
何かと思つて包みを開けると、

「岐阜縣岐阜高等女學校、
卒業記念冩眞帖、昭和3年3月」でありました。

ガアン、何て素晴らしいプレゼントでせう!

興味のない方にとつては、
「何だ、コレ?」と云ふ物かも
しれませんが(失禮)、
卒業アルバムと言ふのは當時の服裝、髮型、
等々の大變素晴らしい資料に成る物です。感謝です。
(M氏のご友人からも色々お讓り戴き本當に感謝して
居ります。)

名古屋市政資料館、舊川上貞奴邸、白壁地區のモダン住宅探訪など
案内して戴き、極めつけは、昭和塾堂(愛知大學齒學部)で
此の建築は要塞のやうで本當に迫力が有りました。

春にも相變はらず色々な所に出掛けましたが、大正關聯で
印象に殘つてゐるのは4月に開催しました小金井公園での
「大正ロマンチカ」のお花見會主催です。
今年もモガモボの美しいお花見會が開催出來ました。
ブルーシートではなく、美しい矢絣模樣の布を敷き、
使ひ捨ての物を全てやめ、
お皿は大正、昭和初期の物を使ひ、
友人の作つた手の込んだ素晴らしいお辨當(明治の重箱)や
お酒を戴きました。三十人限定でお集まり戴きました。
何メエトルもある布に何人かでアイロンを掛けるだけでも
大變な作業でした。
皆さんの協力がなくては決して出來ない會でした。

其の後、ほんの少しだけ體調を崩しました。 我が
藥箱には、大正、昭和初期當時の藥が入つてゐる許りで
現代の藥が殆どありません。 それらは、
骨董市や古道具屋で入手したもの許りです。
昭和初期の中身入りの藥袋を買つた時には、

「此れを飮んだら別の藥が必要に成りますよ。」

と、骨董屋店主は云ふのでした。
飮みさうに見えたのでせうか。や、やつぱり、、、。

其れから、5月は日本大正村でのちょっとおんさい祭り
大正ファッションショーとパレードに出場しました。
昨年、11月に續いて2回目です。
今回、特に良かつた事は
地元から澤山の方が參加された事です。
關東、長野からは16名參加と成りました。
今回は、まとめ役として一所懸命取り組みました。
出演交渉、バス手配、衣裝貸し出し、衣裝合はせ、聯絡係
資料作成など、本當に走り囘りました。今回、
モガの當時の衣裝を私は4名の女性にお貸ししました。
(洋服をお貸しする事は、コンディションなどを考へても
此れが最初で最後に成るでせう。モガがずらりと
竝んだのは、私にとつて嬉しい光景でした。)
皆さんの多大な協力があつて、無事に會を終へる事が出來ました。
地元新聞などでも大きく取り上げられ、
イベントは好評のうちに終はりました。

日本大正村から夜行バスで早朝に戻り、
其の日に 平和島骨董市へ友人と出掛けました。
午前中から3時位まで殆ど
休まず見てゐたと思ひます。
一緒に出掛けた友人が、私が見つけられなかつた
面白い物を次々と見つけ出して呉れたので、
「まだ(見方が)甘いね!」と云はれました。
個人的に、嬉しい一言でした。

平和島骨董市の歸りに
ライス・カレーを戴きました。この日の
ライス・カレーのお話に就いては
こちらへ投稿致しましたのでご覽下さい。
↑勿論、音樂のファンでもありますが、
生き方、考へ方など10代の頃から
尤も影響を受けてゐる

石川浩司氏の家項です。
(ウルトラ必見です。)

骨董市では、流線マスク(最高級婦人用)の空箱、
健胃丸(四日分五十錢)、
モガ・モボの冩眞葉書數點、
SPレコードは、
愛の燈かげ/夢よもういちど、
父よ・あなたは強かつた/仰げ軍功、
愛染草紙/荒野の夜風、等々でした。
他にも色々と入手致しましたが、高價な物は何一つ無く
殆ど日常品の類です。全てが寶物です。

「目立ちたい」のと「目立つてしまふ」と云ふのは、違ひます。
目立ちたくてモガの格好をしてゐるわけでは有りません。
此處で云ふ目立つとは、止まつてゐる物の中に動いてゐるものが
ある、眞つ黒なものの中に白いものがある、
と言ふ程度のものであります。

眞つ黒な物の中に白いものがあれば、目立つでせうが
元々白くなりたい物が黒に成ろうとすれば、
どこかに無理が生じます。

此處に自分の冩眞を公開してゐるのは
モガのファッションと云ふのが恐らく
尤も興味を持たれる事項であると思ふからです。
何に就いて興味を持つて戴き度いかと
云へば、勿論其れは大正時代、昭和の始めの
日本に就いてです。顏を出すことに、
心配して呉れる方も居ますが、危險を恐れてゐたら
何も出來ません。
ただ、周りのプライベートに關はる事だけは私なりに
可也注意を拂つて認めてゐる積りです。

冩眞と言へば、ブロマイドです。

先日、近所の骨董屋で上原謙のブロマイドを
見つけて贖入してしまひました。
今は一體いつの時代なのでせう。

「愛染(あいぜん)かつら 総集編」の
ヴィデオが觀たかつたので
友人宅へ出掛けた時に一緒に觀ました。
自室にはヴィデオ機器とテレビジョンが有りません。

友人は
「あいぞめかつら?カツラのビデオを觀るの?」と言ひました。
・・・・一體、どんなビデオだ。

只今、高圓寺の「ルネッサンス」と云ふカッフェにて
「週刊モガ」を認めて居ります。
いつか訪れたいと思つてゐた場所です。
此處へ至るまでに地圖を忘れてしまひ、公衆電話から
104番に電話を掛けてお店の番號を聞きましたが
何故かお店に電話がかかりませんでした。
其れでも諦めきれず、縁があれば辿り着ける、
と思つて全く出鱈目に驛から
數分歩いたら、ルネッサンスの看板が目の前に現れました。
知らない場所へ何も考へずに辿り着けてしまひましたが、
本當に行きたい場所であればこんな事は、よくある事なので
不思議なことではありません。

「ルネッサンス」に入つたら、すぐに此の店が好きに成りました。
何年か振りに中野の「クラシック」で
見かけた物を幾つか見つけました。
片隅には「クラシック」の看板も無造作に置かれて居ます。
中野の老舖「クラシック」が
「ルネッサンス」と成つたのです。

モガ・モボの裝ひは、千差萬別です。
今年は、8名の方をモボ・モガにする機會が有りました。
見事な位、全員の似合ふ洋服が違ひました。
プライベートで2名、テレビジョンの撮影で1名。
ファッションショーの爲に4名。 モダンボーイは1名。
1930年代の細身のドレッスが似合ふ方がゐれば、
異國風のモガが似合ふ方あり、
清楚なモガに、少女のやうなモガ、面白かつたです。
モダンガール、モダンボーイの良い所は
一生貫けるスタイルであると云ふ點です。20代でも、
30代でも、40代でも、50代でも、勿論もつと上でも
千差萬別、絶對に似合ふスタイルが有ります。
私の先生で、90代で
モダンボーイのスタイルをしてゐる方がいらつしやいますが
いつも御洒落で素的です。
街角であら素的!と思ふと大抵80代以上だつたりしますが、、、。
ファッションの提案は、此れから更にして
いきたいと思つてゐます。

「週刊モガ」の原稿を書く爲に、
初めて原稿用紙を贖入しました。
下書きは全て萬年筆です。
原稿用紙の枡を見てゐたら
一向に筆が進まないので、枡に文字を一字一字入れないで
書き進めました。するといつもの樣にスラスラと進みました。
原稿用紙の意味がありませんが、まあ良いでせう。

さてそろそろ終はりに向かつて居ります。

或る日、近所の印度料理店へ參りました。
日本語を少ししか話せないと言ふ店主と、
片言の英語で色々話しました。

印度人店主 「此の音樂いいでせう。
         とても古いのです。40年前ね。」
カヨ      「いいですね。私も古いものが好きです。
         此れは80年前のスタイルです。」
印度人店主 「え。本當に?貴方のスタイルはとてもすてき。
         そのトランクはいつのもの?」
カヨ      「此れは大正時代です。」
印度人店主 「大正?わからない、、、。」
カヨ      「大正とは、、、(以下省略。)」

近所の印度人にも
大正とモガの宣傳活動を
してゐるので有りました。

まだまだお話は盡きませんが、そろそろ此の邊で
「週刊モガ」を終はりたいと思ひます。

私にとつて、待つてゐて呉れる方がゐると
云ふことは、本當に大きな支へです。
地味なウェブログですが、
此れからも續け度いと思ひます。

先日、昭和4年の婦倶ちゃん
(雜誌「婦人倶樂部」の愛称)を
讀んでゐたら、新聞の勸誘に困る時はポストに、

「當家は大いに見本新聞を歡迎す」 と

書いたら皮肉すぎるか、と
有りました。面白かつたです。

それでは、お附き合ひ下さいまして
有難うございました。
また近い内にお目にかかります。

御機嫌よう。次回もゼヒ御覽下さい! 

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二度とないすてきな夏をお過ごし下さい。

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日本モダンガール協會・淺井カヨ
 

自己紹介
HN:
淺井カヨ
性別:
女性
自己紹介:
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代表
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