淺井カヨの 個人ブログです。 ©️KAYO ASAI
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(問『私の愛車』、と云ひたい所ですが

此のスナップショットは何処でせう。(答へは一番最後です。)

連載第19回「週刊モガ」 灰懐炉と冬の生活   

嚴寒の候、御機嫌いかがでいらつしやいますか。
日本モダンガール協會淺井カヨです。
大變、御無沙汰致しました。
平成22年(皇紀2670年)が始まりまして、
あつと云ふ間に、もうすぐ今月も御しまひです。
更新を御待ち戴いた方へは、遲れました事を
御詫び申上げます。今年こそはなるべく
更新致しますので、御赦し下さいまし。
今年は、言葉ではなく行動で示す1年に
したく存じます。今年は大正で99年です。

久し振りに出掛けた映畫會では、
「暫く來ないから、死んだかと思つたヨ。」と
云はれる始末です。
どつこい生きてる、淺井カヨです。(參つたか。)

「モダンガール」と云ふ言葉を電子檢索されて、
此處の島に何故か辿り着いた御方は、
「なんぢゃ、此の人は。」と高確率で
思はれる事でせう。
最近、「モダンガール」で檢索を致しますと
「週刊モガ」が上位に出て來て
しまひますので、私のやうな者が
しやしやり出るのは、本當に烏滸がましい限りです。
何しろ私は、人一倍「モダンガール」
追ひ掛け續けて居りますが、
生まれた時代が違ひますので
本物には一生成れません。
インタアネットは玉石混淆の
世界で御坐いますので、私のやうな
僞者にはどうか御氣を附け下さいまし。

此處は、モダンガール其のものではなく、
モダンガールを追ひ掛け續ける
一個人の記録に過ぎません。

其れでも、若し氣に成る
御方がいらつしやいましたら、
どうぞ此の先も何卒、御附き合ひ下さいまし。

扨て、催しの告知も餘り出來ませんでしたが
昨年は、9月、10月、11月と
「シマウマ」の海水浴着を實際に催しにて
着用出來ました。
戴いた感想の電子メエルに目を通して居りますと、
「ギザ カッコヨス。」との御言葉も頂戴致しました。

聞き慣れない御言葉ですが、
御襃め戴き、有難うございますた。
(現代風では、かう云ふ云ひ方かしらん。)

寒い毎日ですが、いかが御過ごしでせう。
雪も降らない帝都の寒さなど、私にとつては
大した事はないのですが
冬の季節の樂しみを滿喫して過ごして居ります。

1年ほど前、S縣S市の借家にて
暮らしてをりました時には、
朝、目が覺めると臺所の液體調味料が
凍つて居るのをよく見かけました。
幸ひ私自身
凍る事もなく無事に過ごしましたが、
寒さには震へ上がつて居りました。
強いて云へば
氷冷藏庫の氷が必要ない事が、
樂でありましたが、、、。
寒い借家では、火鉢が大變重寶致しました。

昨年、帝都のアパートメント・ハウスへ
引越してからは、 厨房で炭を容易に
熾せないのが難點です。
共同の瓦斯臺にて、火おこしで炭を熾すと、
粉状の炭がどうしても落つこちてしまひます。
其れに、各部屋に取り附けられた
火災報知器が、煙を探知していつ作動してしまふ
かもしれません。また1階の臺所で、燃えた炭を
2階の自室まで運ぶのも一軒家の下宿では
難しい問題で、火鉢の使用は今はやゝ諦めて居ります。
(豆炭カイロは何とか使ひたいのですが、、、。)

外出時には、白金懐炉(ハクキンカイロ)が
重寶して居ります。
野外生活用品店などで、
現在も普通に賣られて居りますので
御存知の方も多いかと思ひます。
本體を贖入して、ハクキンカイロ專用のベンジンを
しみ込ませて、発火口に燐寸で火を點けて使ひます。
ベンジンの量を調整すれば、
24時間は暖かいままです。
大正12年に日本で初めて作られた
素晴らしい發明品の一つでせう。

ハクキンカイロは、もう何年か前、
帝都で大雪が降つた日に
友人が使用されてゐたのを
日比谷の松本樓で初めて拜見して、
感動した事を覺えて居ります。以來、
骨董市、古道具屋で探しまはつて
見つけ出し、使用して居ります。
 


調べた限り、右は昭和10年代で
左は、昭和40年代の物だと思はれます。
昭和初期の方が、細工が綺麗でモダンです。
「白金懐爐」は御薦めですが、
一度だけ專用ベンジンを切らした時に
別のベンジンを使用して、
大きな炎を出してしまつた事があります。
すぐに消し止められましたが、
使用に際しましては、注意を守ることが必要です。
慣れると本當に手放せない
冬の必需品でせう。

ハクキンカイロを見つけた頃、
見慣れない形の懐炉らしき物を
骨董屋にて同時に見つけました。

開けると蓋が二重に成つて居りましたので
此れは何かと思つて、氣に成つて入手致しました。
どうやら、中に炭か灰の樣な物を入れて
携帶して使用するものだと云ふことはわかりましたが
一體どんな燃料を使つてゐたのかが、
其の時はまだよくわかりませんでした。
中の燃料を探すべく
色々な古道具屋を見てまはりましたが
なかなか本物の燃料には出會へませんでした。

どうやら筒状の灰を使用すると云ふ事は
色々な人から お話を伺つてゐる内にわかりました。
灰懐炉が展示されてゐる
資料館を見つけ、使用法を尋ねたり
(其の時は詳しい方が居らず
結局わかりませんでしたが)、
大正生まれの方にお話を伺つたりしました。
懐炉に就いては、80代以上の御老人の間でも使用してゐた方、
全く使用しなかつた方、色々な方がいらつしやいました。
昭和初期の「白金懐爐」の廣告を見てをりますと
大體モダンな繪柄なのですが、灰懐炉はどう云ふ
位置附けだつたのか、いつから
使用された物なのか(江戸時代なのでせうか。)
まだまだ調べたい事は山積みです。

灰懐炉用の燃料を求めて、
いつの間にやら何年かが過ぎて行きました。

いつか巡り合へると何の根據もなく信じて居りましたが、
なかなか其の機會は、訪れませんでした。

そして、とうとう今冬
燃料である「かいろ灰」
見つける事が出來ました。
友人がとある骨董屋で見つけ、
其の直後に、私自身も骨董市で
やつと本物に巡り合へました。
 
 箱と本體です
 
二重蓋になつてをります。
これが、かいろ灰です。
 
さて、遂に使用する時がやつて參りました。
筒状の先に燐寸で點火致します。
勢ひよく燃えると中の燃料に火が到達し
其の後は少しづつ燃えて行きます。
此處で、蓋をしないと火花が時々散るので
二重に蓋をします。
懐に入れてゐると、
火鉢の樣な獨特な灰の匂ひが致しました。
 
灰懐炉の中にかいろ灰を入れます。

使用中に、他の方に尋ねてみましたが
匂ひはヨクわからないと仰つてゐたので
其れほど、きつい匂ひではないかとは思ひます。
ただ鼻の良い方は、
(あの人、灰の匂ひがする。・・・何故?)と
思はれるかもしれません。
4時間位は、暖かかつたです。

容器自體が布で覆はれてをりますので
カバアは要りません。 ただ外部へはカバアを更に掛けないと
灰の匂ひが氣になるでせう。
 
知つてゐる方にとつては、此處に認めてゐる事も
何てことのない御話でせう。

懐かしいと思はれた方もいらつしやるかもしれません。
若しも身近な方で、灰懐炉を
使用されてゐた方がいらつしやいましたら
是非、右上の電子メエルアドレスまで
御話を御送り下さいまし。

私にとつては、初めての經驗でしたので
非常に面白く、此處でお傳へしたいと思ひました。
燃料は、全て使ひ切つてしまへば御しまひです。
今度、いつ燃料が手に入るかは
わかりませんので、
少しづつ味わいながら使用しようと思つて居ります。
現在、作られて居るのかどうかは未確認です。もう少し詳しく
分かりましたら、また御報告致します。

「携帶」と云へば今は携帶電話でせうが、私が
欲しかつた「携帶」は、最新機種の
携帶電話などではちつともなく、
携帶式の灰懐炉のかいろ灰なのでありました。
そして、携帶の「白金懐炉」から、
携帶の「灰懐炉」に今で云ふ「機種變更」を
してみたのであります。
白金懐炉も灰懐炉もどちらも魅力があるのですが、
火鉢に親しんでゐた私にとつては、石油系の匂ひよりも
灰懐爐の獨特の炭の匂ひの方に軍配が上がりました。
しかし乍ら、甲乙つけがたい魅力が有ります。

箱には「火持ちよく氣持のよい」と書かれて居りますが、
正に其の通りでありました。

かう云ふ物が現代廢れてしまつた理由とは何でせう。

私の使用致しました「かいろ灰」は、全部燃え盡きてしまふと、
中が眞つ黒な灰で一杯に成ります。
此れをうまく片附けないと、手が眞つ黒に成ります。
其れ程、面倒な作業と云ふわけではなく樂しんで
居りましたが、苦手な方もいらつしやつたかもしれません。

「ケイタイ」懐炉のお話は此の邊に致しまして、
冬のお話を續けませう。
いつも昭和初頭を夢想して生きてゐる私は
當時冬場に流通してゐなかつた
夏野菜を食べる事を、基本的にはしないのです。
今は、年柄年中同じ野菜が置いてあるので
現代の罠に嵌らないやうに氣を附けて居ります。
當時、どんな冬野菜が流通してゐたかを
グラフにして調べる事が肝腎です。

當たり前の話ですが、冬場は内側から
體温を上げる事をもつと考へるべきです。
特にコール・テーやら氷入飮料などは
御婦人にとつても要注意であります。
體温を下げるのは、夏野菜も同じです。
食事を作る時は、大正か昭和初期の
季節の料理本を見て作るのですが、
(單位が匁で慣れるまでが大變です。)
其れを見てゐると、其の季節の
旬の物が載つてゐるので參考に成ります。

身體は温めますが、暖かい布團をなるべく使はず
湯丹保に薄地の質素な綿毛布を
被つてゐるだけで休んで居ります。
掻卷でも使へばもつと暖かいのでせうが、何となく
自宅で立派な布團に眠るのが苦手です。
心地良い布團でありますと、
いつまでも起きられなくなる樣な氣が致しまして
入手する事を躊躇して居ります。
スウェーターに毛絲羽織、
ボンボン帽子を自宅ではよく被つて居ります。
昨今、湯丹保が見直されてゐる事は良い事ですが
何故にプラスチック容器が多いのか
首をかしげたくなります。
安易に使ひ捨てられない事を祈ります。
私の愛用は戰時中の「國策湯丹保」で陶器製です。
使ひ始めた頃は、陶器製は
冷め易いのではないかと思つたのですが、
要はカバアの問題で
厚手の生地(綿入りの生地であればいと宜し。)で
袋状に して覆へば、可也長期間暖かいままです。
湯丹保の御湯も勿論活用致します。
顏を洗ふのが王道でせうが
私は琺瑯の洗面器に移して、
御湯で足を暖めます。
なかなか良い工合です。ほゝゝ。

古物や骨董品が好きですが、
實際に使へるものを探してゐる事が多いです。
何故實際に使へるものかと申しますと、
先づは好奇心から、次は其の時代の物を
使ふことによつて當時使つてゐた人が
どう思つてゐたかを考へるきつかけに
したいと思つてゐるからです。

「灰懐炉」などは、新しい物として目に映ります。
どんな物なのか、實際に使用してみないとその
實感が沸きません。 電子檢索で意味を調べて、ハイ御しまひ、
と云ふことでは、澤山のことを逆に見落としかねない
と私は思ひます。

火を使ふので、もの凄く熱くなるかと思つたら
程よい暖かさであり、よく考へられた物だなア、と
しみじみ思ひました。私にとつて
骨董市は、新しい世界への窓です。
年配の方が、懐かしい物を探してゐる感覺ではなく
自分にとつて、新しい物を探しに行く場所です。
高價な物を、自宅の陳列棚に飾つて
滿足するのではなく、「懐爐」のやうな
忘れ去られた物(殆どが安價な物です。)を
探して使つてみる事の方が
面白いと感じます。私がおばあさんに成る頃に、
自分の十代の頃に流行つてゐたものを、懐かしさから
骨董市へ探しに行くことは、まづないだらうと思ひます。

「おばあさん」と云へば、
今年初めの讀書は、
昭和17年2月~昭和19年5月「主婦之友」にて
連載された大衆小説の「おばあさん」でした。
著者は獅子文六氏で、角川文庫刊です。
踏み臺に乘らなければ手が屆かない
古書店の高所にて見つけました。
「おばあちやん」ではなく、「おばあさん」
と云ふ題名に惹かれました。
昭和15年~16年の東京が舞臺で、
當時の樣子が隨所に出てゐて、
(なアるほど。)と思ひました。

カフェーで働く電髮の舞臺女優を、
明治一桁生まれの「おばあさん」が
「モジャモジャさん」と云つた行は可笑しかつたです。
「おばあさん」の家族の一人一人の顏が
浮かんでくるやうな、生き生きとした描冩でした。
今では大分失はれてしまつた事など、
考へさせられる良い作品でした。

次に明治の終はり頃に生まれた
おぢいさんが實際に見たと云ふお話をしませう。

時は昭和の初め頃。
モガ、と云ひますか
與太(よた)ガールが淺草に現れた時のお話です。

派手で奇拔な格好をした複數の
不良少女が2~3人、
色とりどりのパラソルを廻し乍ら、
淺草の都大路を闊歩して居ります。

どの樣に派手かと申しますと、
スカアトには、大きな薔薇の花飾りが
幾つも飾られてゐます。
日本人ですが赤毛や金髮で、
電髮を施してをります。
(此れはどうやらカツラの樣です。)

かう云ふ女性達が、背廣の中年サラリーマンを
うまく誘ひ出し、夕食をたかるのであります。
サラリーマンも可愛い女性を
數人引き連れて愉快なもので、
食事くらゐおごつてしまひました。
食事をおごつて貰つたら
ハイ左樣ならア、と云ふことで
彼女らは、お金のある人を
狙つてゐたのださうです、、、。
不良娘としてのモガの御話でした。

冬のお話からどんどん脱線して居ります。
脱線序に、
昨年印象的だつた
御話を一つ致しませう。

或る深夜、某隊長の御誘ひで澁谷のカラオケ屋へ
出掛けたのであります。
15名位參加されてゐたのですが、
都内で「コミック・マアケット」なる催事が
あつたさうで、其の歸りに集まつた人々の中に混ざりました。

私はいつでも大抵モダンガールの
裝ひですから、どうも浮いてをります。
(まァ、いつも浮いてゐると云ふ御意見は
此の際、聞かない事に致しませう。)

好きな戰前の流行歌(下手ですが)などを歌ふ前に
何とか此の場に溶け込もう、、、と必死に思ひまして
涼宮ハルヒの「冒険でしょ でしょ?」を唄つたのであります。
(「涼宮ハルヒ」は、或る私の尊敬する御方が
面白いと絶賛されてゐたので
5話位まで觀たのでありますが、
慥かによく出來た御話で、感心致しました。)

因に、「面白い」か「面白くないか」と云ふ事は
常に考へて居りまして、
正直に申しますと、前述の「アニメーション」は
苦手な表現の部類でありますが
面白いものはキチンと
評價したいと思つて居ります。

すると、御隣のコスプレヰヤアの御姉さんが、
「平野ね!」と力強く仰つて呉れたのであります。
(ヒ、ヒラノ、、、!嗚呼、、、。わたくし、冷や汗をかきました。)

「冒険でしょ でしょ?」を何とか唄ひ、
御姉さんや皆さんにも受けたやうなので安心致しまして、
次に御姉さんと唄つたのが
「もってけ セーラーふく」でありました、、、。
(偶々耳にして覺えてゐた難しい曲です。
アニメーション自體は殆ど全く知らないのですが、、、。)

其の後は、好きな流行歌などを歌ひました。
「コスプレヰヤアさん」にも樣々な方がいらつしやいまして、
其の世界が本當に好きで、日常と非日常をきちんと分けて
此の樣な裝ひをしてゐる、と云ふお話も聞けて興味深かつたです。

他人の日常は、自分にとつての非日常です。

そして、某隊長からは
「いや~、カヨさんが『らき☆すた』を歌ふとは!」と
喜ばれ、驚かれたのであります。(自分でも非常に驚く。)

時々、異文化交流で意外な行動をして、
人を驚かせるのは、そら愉快であります。

人と云ふのは、意外な面が
あればある程面白いものです。

そして、大抵の人は意外な面を持つてゐるものです。
ですから、手前の小さな視野で他人のことを
「何となく」、「イメージで」、「レッテル貼り」をする事程、
馬鹿げた事はないと私自身は思ひます。
まア、私自身が、「何となく」、「イメージで」、「レッテル貼り」を
常にされてゐるからかもしれませんが、、、。

ただ、人樣が思はれる分には
別にどうとも思はない樣に成りました。
外部で起きる事にいちいち感情を
振り回されたりは、致しません。
尤も攻撃的なのは、大抵集團か匿名であります。
名乘り上げ、 感情的に怒る事なく、
はつきりと意見を述べられる人は
まだ少ない樣に思ふ、昨今です。

皆と同じでないと不安である、などと
言つてゐたら、沈んで行く船に乘つてゐても
溺れるまで氣が附かないかもしれません。
其れは本當に怖い事です。

どんなに理不盡な酷い目にあつたとしても、
「御天道樣が知つてゐれば良い」と、私は思ひます。 
天は全てを御見通しですから、
自ら手を下す必要はありません、、、。

「自分さへ良ければいい。」
「お金があればいい。」と云ふ考へが
あまりにも多く、罷り通つてゐる事が大きな問題です。

自分が出來る、 後世に繋げる道を
いのちが續く限り、考へて實行しただ進んでいくのみです。
何をするのでも根柢に 「日本が好きである。」と云ふ
搖るぎない氣持ちが有ります。私が生きてゐるのは、
日本の長い歴史の、いのちの上であつて
今の時間だけを、自分一人の爲に
生きてゐるのでは、決してありません。

時間の捉へ方が、長くなればなる程に
今の苦しみや悲しみから解放され
自分の進むべき道が見えて來ます。

さて、そろそろ第19回の
「週刊モガ」は解散の時間に致しませう。

帝都に廻轉するレストランが幾つかあります。
其の内の一つ
東京交通會舘15階の「銀座スカイラウンジ」が
好きです。今年は、45周年なのださうで
内容は普通のレストランと云ふ感じですが、
1時間以上を掛けて、ゆつくりと
レストラン自體が廻轉するのが
面白いです。
喫茶のみの利用も出來たと思ひます。
刻一刻と變はる外の風景を眺め乍ら
過ごすのも良い機會となるでせう。
帝都へいらつしやる時は是非、どうぞ、、、。

御寒さの折、御身おいとひ遊ばすやう
祈り上げます。

冒頭の冩眞の場所
(答)「江戸東京博物館」
東京ゾーンにて、デコる淺井カヨです。
此處は、固定された自轉車や人力車などに乘れたり、
撮影が自由なので、行く度に
はしやいでしまひます。其れでは、次回迄
御機嫌よう。
 
銀座にて。(此方はほんたうの愛車です。)

   日本モダンガール協會 淺井カヨ
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HN:
淺井カヨ
性別:
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