第1回「週刊モガ」かく語りき
記念すべき第1回目の連載を開始致します。
私(淺井カヨ)は、モダンガール(モガ)とその時代、
特に大正時代から
昭和初期にかけての日本(ニッポン)に
大きな關心を持つて生きてゐます。
餘りにもその想ひが強過ぎた爲に、遂に現代を生きる
「モダンガール」
を追ひ掛けることになつてしまひました。
個人の思ひ込みと云ふのは強い力を持つもので その内に周りから
「モガ」と 云はれるやうに成り、
昨年には「日本モダンガール協會」を設立致しました。
「モガ」と云ふキーワードから老若男女、本當にたくさんの人と出會ふ
ことが出來て今日に至ります。
現代、平成20年夏。
約80年前の「モダンガール」に魅かれ、
平成の世を生きる淺井カヨと云ふ人間を、
「週刊モガ」連載から傳へようと思ひます。
「今の世の中に、こんなのが居るのか!」
とでも思つて頂ければ幸ひです。
私は、80年前に逃避したいわけではありません。
單なるレトロ好きでも懐古趣味でもありません。
私が生きてゐるのは紛れもなく現代日本です。
大正時代から昭和初期は遠く過ぎ去つた過去ではありません。
現代のすぐ隣にある時代です。日本が見失つたものを取り戻し、
もう一度その時代を見つめる事によつて、現代生活への問ひかけ
になればと思つてゐます。
平成の世は「エコ」が叫ばれてゐますが、
その答の最大のヒントが、
當時の日本にある事は疑ふ餘地もありません。
大きな勢力と戰つて生きてゐます。
其れが何なのかは此處で具體的には書きません。
然し、それぞれの人間が
「自分と世界を動かしてゐるもの」に就いて考へる必要があります。
今、日本は重大な局面を迎へてゐます。
事なかれ主義ではもう濟まされません。
歴史を顧みなければ、日本は滅びの道を歩むでせう。
さて、話を戻します。
私の生活に就いて知らない方が多いでせうから、一寸そのお話をしませう。
まづは洋服に就いて書きます。
約80年前、當時の日本人モガが着用してゐた洋服を
現代に於いて大切に着用してゐます。素材は、正絹の物が多く
縮緬を使つて作られた洋服もあります。正に和洋折衷の
日本のモダンガールの洋服です。
單なる西洋かぶれではありません。
現在の洋服で、80年後にも普通に着用出來るものが
ある事を願ひたいと思ひます。
保存状態の良い物を着用してゐれば、多くの方は
此れが昔の洋服だとは、わからないと思ひます。
殆どオートクチュールですが、背が低く
體型が昔の女性とあまり變はらない爲
どの服も殆ど身體にピッタリ合ひます。
そんな當時の洋服を着て、柴又(東京)の大正時代宵まつり
「大正假裝コンテスト」では、二年連續優勝をしました。
他の方は、コンテスト終了後に着替へて歸つて行きましたが
私は普段着なので、そのまま普通に歸宅したものです。
からほりまちアート(大阪)「モガ・モボコンテスト」でも同樣に
普段着で參加して、ベスト・モガ賞を戴きました。
どうしても洗ふことが前提に成りますので
眞夏は當時の形に近いドレスを入手して着用することが多いです。この際に
氣を附ける事は、當時なかつた素材を使つてゐない物を探すことです。
自然素材のものを用ゐるのが重要です。その點は、
洋服に限らず、裝飾品、バック、靴、小物に到るまで
殆どに通用する考へです。
當時の洋服は全て、あらゆる所へ出向ひて自分の足で探し出しました。
よく「洋服はどこで手に入れるのですか?」と
聞かれますが、其れはこちらが聞きたい位の難しい問題です。
當時の日本人女性の洋服を見つけ出すのは
なかなか困難です。
それでも方々の古物店や、骨董市へは足繁く通ひ、
たくさんの洋服を集める事が出來ました。
海外のインターネット・オークションでは、歐米の1920年代や1930年代の
洋服が賣られてゐます。それらを利用してゐる方も多くいる事でせう。
然しあまりインターネット・オークションに頼り過ぎて、
自分の足で探さないやうに成ると、
人や物との出會ひが狹まります。例へば、Aと云ふ骨董屋へよく通つてゐる内に
店主と仲良くなり、店主が氣を利かせて
「Bと言ふ骨董屋に洋服が入つた。」と紹介される事もあります。
この時代を知る爲には、常に昔のものに觸れる機會を
作る必要があります。店主と仲良くなれば、その物の由來などを
聞くことも出來るでせう。
ですからオークションは便利であつても、他の點では
損をする事も多い、と云ふことをわかつていただき度いと思つてゐます。
私は、着用不可の穴の開いたボロボロの洋服も
當時の物であれば全て入手してしまひます。
それらをいづれ、服飾のプロの手で完全復刻させたいと願つてゐます。
賛同して戴ける方が多くいらつしやれば、或程度量産も出來るのでは
ないかと思つてゐます。
ご自宅にボロボロの昭和初期の洋服がある方は
是非、「日本モダンガール協會」へご連絡下さい。
それは決して不用品ではありませんので、捨てないで下さい。
「これから、昔の洋裝をしてみたい。」と云ふ方から
相談を受ける事が多々あります。此の頃は、特に増えてゐます。
其処で云ひ度い事は、兔に角當時の女優やモガの
着こなしやセンスを、映畫や本、冩眞などを見て徹底的に眞似てみると
云ふことです。當時の有名人などから憧れの對象を見つけるのが、近道です。
個人の着こなしに、ルールはありません。ルールは一人一人が
作つて行けば良いのです。100人のモガが居れば、
100人全員の着こなしが違ふのがモガ流です。
鏡に映つた姿を見て、自分の判斷で違和感なく完璧だ、と思ふまで
色々な物を組み合はせてみて下さい。
お化粧も當時の女優やモデルを參考にしてゐます。
此れまた80年程前の自宅の蓄音機で、SPレコードを掛け乍ら
當時の雜誌や冩眞を見乍らお化粧するのです。
かうやつて氣分を盛り上げます。
鏡の中の自分を見て、其処にモガが居る、と思へなければ、
誰もモガだと思はないでせう。
個人でコンビニエンスストアー、ファミリーレストラン、スーパーマーケット、
フランチャイズの居酒屋にも極力入りません。(極力と云ふのは、
友人と一緒の場合は利用する事があると云ふ事です。)
何故使用しないのか?多くの場合、それらが「特別」でないからです。
店員や店によつては、マニュアルを優先し過ぎて人を人として
扱はない事もあるでせう。さう云ふ態度を取られれば、私は
默つてゐません。ケンカはなるべく避けたいと思つてゐます。
常に特別で
一期一會でなければなりません。
信念を持つて經營してゐる個人商店ならば
客の顏を覺えてゐます。私は、ちやんと人間扱ひ出來る店にしか入りません。
物を買ふと云ふのは、その物を取り卷く世界を支持すると言ふことです。
コンビニエンスストアーは、どこも同じ店構へであつたり原色看板で
景觀を損ねてゐたり、地場産ではない加工食品が大量に賣られてゐたり
問題を舉げればキリがありません。全てを否定する積りは毛頭ありませんが、
さう云ふ場所が多いのは事實です。
自動販賣機でジュースを買ふことも一切なければ、ペットボトル飮料や、
罐飮料を買ふこともありません。自動販賣機でジュースを買ふと云ふのは、
自動販賣機の存在を認め、支持してゐると言ふことです。
「私は大正が好きなんです。昔の着物の柄が好きだし、
大正の洋館の樣な建物がもつと増えると良いなあ」と言ふ方はよく居ます。
非常に嬉しい事ですが、さう言つた後に、
原色のケバケバしい色使ひの、24時間營業で
螢光燈が眩しいコンビニエンス・ストアーに自動ドアで入り、
店員と目すら合はせず、ペットボトルのお茶と加工食品を買ふことに
何の疑問も持たないやうにはなつて欲しくないと思つてゐます。
階段を使ひます。自動ドアーも苦手で、なるべく手動ドアの商店を
利用してゐます。センサーで、人間を機械で感知させ
ドアを勝手に開けさせる、こんな物に卷き込まれたくないと思ひます。
生活に於いて殆どのプラスチック製品を使はず、陶器や金物、木製品。
そして、洋服を入れるのは茶箱に柳ごおり。プラスチックの衣裝ケースなど
一切ありません。
電話は、勿論黒電話。我が家では、4號式黒電話を
愛用してゐます。3號式は高價な爲、入手出來ずに居ります。
携帶電話も持つてゐません。テレビはなく、眞空管ラジオを聞きます。
こつちが不便だから携帶電話を持つて欲しい、などと云ふ周りの意見には
耳を貸しません。
他人にとつては意味不明な拘り、然し私の中では
確固としたルールの中で生活をしてゐます。そんなことを真面目に
取り上げていかうと言ふのが、「週刊モガ」です。自分の爲だけに
書く文章ではありません。讀者が一人でも居て呉れたら
今後も續けて行かうと思つてゐます。
一寸カタイ話が續きましたが、要は「こんなのが居るのか!」 と
云うことから、生活を考えることと、古いものに興味を持つきっかけと
なって呉れたら其れでいいのです。
私は他人の生き方を批判出來るほど立派な人間では
ありません。全てが私の意見に過ぎません。
それでは、どうぞ宜しくお願ひ申し上げます。
(淺井カヨ)