淺井カヨの 個人ブログです。 ©️KAYO ASAI
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撮影:GR鷹/GR-TAKA氏(転載禁止)→myspace

「大正風」加工をされました。淺草撮影會にて、筆者。(5月下旬)

連載第22回「週刊モガ」初夏モガ通信 

日本モダンガール協會淺井カヨです。
約一箇月振りの「週刊モガ」(月刊モガ?)更新です。
御機嫌如何でせうか。私は元氣です。

6月は何故かブラームスのことが
氣に成つて仕方がないので、
水無月はブラームス月間として
集中的に聽いて居ります。
特にハンガリー舞曲の第1番に夢中です。
自宅のみでなく、澁谷の名曲喫茶ライオンでも
レコードを掛けて戴きました。
流石「帝都隨一を誇る」ステレオ音響で、
自宅で聽くとは比較に成らない程
迫力が有りました。
何故、ブラームスの旋律に心を
動かされるのかわからないので、
わからない事に惹かれて
またしても聽いてしまひます。

サテ、今月は日本郵船歴史博物館にて
「船をとりまくアールデコ」展を拜見致しました。

Works of Art Deco around Ships

 
 

當時乘船されてゐたモダンな女性達の
貴重な洋裝(どれも溜息が出る程素的でした。)
小物、説明をじつくりと觀る事が出來ました。
胸に殘る、とても良い展示でした。

(企劃展開催前に、學藝員の方々と
御目にかヽる機會が有りまして嬉しく思ひました。
協力者に名前が掲載されて居りとても光榮でした。
ちなみに「浅井カヨ」と有りましたが、浅井でも淺井でも
どちらでも大丈夫です。
淺井カヨの方が實は一寸だけ、より嬉しいですけれど。)

學藝員の方とお會ひした時に、
當ウェブログにて「氷川丸」の冩眞を無斷使用してゐたので
冷や汗が出ましたが、外觀のみならオオケイですと云ふ事で安堵致しました。
表紙が氷川丸である事から
お分かりの樣に昔の船舶に對する想ひは、熱い私です。
氷川丸は、今年で生誕80周年です。

日本郵船歴史博物館を後にしまして、
近くの横濱税關(昭和9年)の美しい建築に
暫く魅了されて居りました。

 外観

さうしたら、
建物の反對側に何やら氣に成る文字を
見つけました。

其處には、「グリル農業会館」
と書かれて居りました。階段に矢印があつて、
其の先に地下食堂があるやうです。
昭和的な佇まいに引き寄せられて、
地下へと階段を降りました。



其處はまるで時間が止まつてゐるかのやうな
錯覺を起こさせる店なのでした。

奧の革ソファアでは、コックが二人
大變くつろいだ樣子で、
テレヴィジョンを鑑賞して居りました。私が
店の中へ入ると
「客が來た!」と云はん許りに、
凄い勢ひで慌てて厨房へ消えて
行つたのでした。其の光景が
まるで蜘蛛の子を散らすやうで
何だか可笑しくなつてしまひました。

レジスタアの前には、
赤いエプロンの女給が居りました。

シャリアピンステーキを頼み、前拂だつたので
支拂を濟ませて席へ着きました。

暫くして、赤エプロンの女給は、
水を運び乍ら、かう云ふのでした。

「素的な御召し物で。小物から鞄まで、どうしたの?
・・・モデルさん?ファッション雜誌から出て來たみたい!」

と、何故だか私を襃め殺しにするのでした。

其の女給の云ふファッション雜誌は、
現代の物ではない、と云ふことだけは慥かでせう。

因に先日、某驛前から追ひ掛けてくる
中年男性が居りました。すると背後から突然、

「この、○×□△●女!!!」
「○×□△●!!!」
(適當な酷い語句を入れて下さい。)

と、此處には書けないやうな
罵詈雜言を浴びせられましたので、
足早に目的地へと向かひました。

片方で、此れでもかと襃められ、
片方では、大變な言葉を浴びせられ、
そんなことがよく有りますので、
どちらにも餘り氣が動じなくなりました。

襃められたら素直に、“有難う存じます。”
酷い言葉は相手にしなければ、
どうと云ふことはないと思ひます。
ですから、他人に心を亂される事は
今では殆ど有りません。

話が逸れましたが、
古き良き洋食と云ふ感じの
シャリアピンステーキを戴き、
店を出て山手方面へと向かひました。
また日本郵船歴史博物館へ
出掛けた時にはフラリと寄つてみようかと思ひます。

西洋館前の薔薇園を堪能して、何処かの猫を追掛けて
「港が見える丘公園」から外人墓地方面へと向かひました。
馬車道十番館(一階カフェー)は、横濱へ
行く度に訪れるのですが、
外人墓地前の山手十番館(同じく一階カフェー)へは
まだ出掛けた事がなかつたので、辿り着けたらいいなと
思つて歩きました。地圖もなく其の場の思ひつきで、
運が良ければ辿り着けるわ、と思ひましたが何とか
到着出來ました。目の前に廣がる山手十番館の
夜景を見てゐたら感動して思はず冩眞↓を撮りました。


 

此處は明治百年祭(昭和42年)に開館したのださうです。
來年(平成23年)は、大正百年です。

山手十番館で美味しい紅茶を戴いて、
周邊の洋館を散策して、西荻窪へ戻りました。
横濱は魅力的な街です。

或る洋館

夜の洋館巡りは樂しくてわくわく致しました。

さて、第21回の「週刊モガ」を掲載した後に、
直接お會ひした方々が感想を言つて呉れたのですが、
一等印象に殘つた記事は新宿で唐突に
モぢにホテル同行を促された記事だと
皆さん口を揃へて云ふのでした。
モぢがわからない方は、
第20回「週刊モガ」を御覽下さい。)

オイ、それか!と。(失禮)

それならば、またしても
新宿で妙な經驗をしたので、
そのお話を致しませう。

不良モガが新宿で朝歸りをした或る日、
背後から背廣姿の若めの男性が聲を掛けて來ました。

「後姿があまりに素的なので・・・。」

これまで、色々な方と出會ひましたが初對面で
後姿を襃められる事はありませんでしたので、
歩きながら話を聞いてみました。

「これから新宿の××の×へ一緒に行つて呉れませんか。
行つて呉れませんね、、、。」

見ず知らずの人を突然誘つておいた割には、全く自信のない若者でした。
しかも若者の誘ひ出した場所は、朝から鎖系(※)の大衆居酒屋です。

(注※鎖系(くさりけい)
=チェーン展開の大手居酒屋や
大手「ファーストフード」店等を勝手に
淺井カヨがさう呼んでゐる。
以前、友人らに話したら
最初は意味を理解されず説明を要す。
その中の或る友人が
試しに別の友人に使つてみた所、
全く通じなかつたと云ふ。)

鎖系に私が行かない事を、若者はよく心得てゐるやうです。
ぢやあ一體、何故誘つたのか。

叮嚀に御斷りすると、若者は携帶式電話を取り出し、
「では、番號だけでも教へて下さい、、、。」

若者は、自分の名すら告げずに
人の番號を聞くとは、をかしな話です。
それに加へて私は携帶式電話の
番號なぞ全く持ち合はせて居りません。

モガ1號!とでも答へれば良かつたのでせうか。

「番號がダメなら名前だけでも聞かせて下さい。」

段々、私も困惑して參りましたので
此の樣に申しました。

「モダンガール、と覺えてゐたら
屹度またお會ひ出來ますわ。」

「モダン・・・・・・?僕は、新宿にあまり詳しくありませんので
其處は、わかりません。」

乘車劵を買ひに新宿驛の販賣機前に到着し、
(前にも申しましたが、西瓜なぞと云ふ物は持ち合はせて居りませぬ。)
改札を通り過ぎ若者と別れました。
彼の行く末が一寸不安ですが、私に出來る事は何も有りません。

以前、町を歩いて居た時に
友人と會ひ、一人競歩かと思つた!と云はれました。
どうも一人で歩いてゐる時は、速いやうです。
考へてみれば、此の若者も話し乍ら
足早に驛まで附いて來たのでした。

妙なお話は此の邊りで、
今月訪れた印象的な
場所のお話をしませう。

2年位前から、いつかは行きたいと思つてゐた
銀座最古のバー「ボルドー」へ參りました。
銀座8丁目なので、先月ご紹介致しました
銀座パノラマや海軍酒場 宜候からも
近くに有ります。やつと夢が叶ひました。
(因にまたしても海軍酒場へ訪れましたので、
「愛國行進曲」や「愛國の花」を歌つてみました。
全くの素人ですが、歌ふことは好きです。)

「ボルドー」は昭和2年(1927年)創業で、
内裝も當時から殆ど變はつてゐないと云ふ噂で
此れは必ず訪れたいと思ひました。
昭和2年建築で、戰災を間逃れたのださうです。

女性のみの入店が出來ないと云ふ
規則があると聞いて居りまして、友人の
モダン紳士(假名)君に白羽の矢が立ち、
お誘ひして參りました。
モダン紳士は、黒い帽子に
白刺繍の施された黒ネクタイ、
と云ふ裝ひでした。私は1930年代の
舶來製のロングドレスにトーク帽で參りました。
モダン紳士と云ふよりも、
「モガ子とモボ郎(らう)」の
モボ郎さんと云ふべきか。
モダンボーイのツヤヲと云ふべきか。

ところで堀内誠一著「配色の手帖」(草思社)
云ふ本はモダンガールのコーディネートに於いても
とても役立つ本です。氏の最後の著作ださうで、
上質な繪本のやうな美しい本です。
全國のモダンガール愛好者は、是非お探しあれ。

モダン紳士は、蔦の絡まる洋館の扉を躊躇なく開け、
中へ一歩足を踏み入れると、
ホワイトエプロンの女給、洋館に似合ふマダム、
1階には黒蝶ネクタイの給仕人、繪に描いたやうな
昭和初期の雰圍氣が溢れ出て居りました。
2階席から吹拔けの眞下を見下ろすと
大きな煖爐が有ります。調度品、家具、小物、一つの
小さな螺子に至るまで、見応へが有りました。綺麗な
壁の向かう側に印度更紗が額裝されて居りました。

2階席の奧に、聯合艦隊司令長官山本五十六が
坐つた席が現存して居りまして
(家具も當時のまま)マダムに薦められ座つてみました。
2階全體が見渡せる良い席でした。
たくさんの方が訪れてゐる場所で、
目に見えぬ樣々な想ひが
詰まつてゐる場所であるなと思ひました。
近代建築が好きな方にもお薦めです。
特別な時間が過ごせる事でせう。
銀座の老舖バーなので、其れなりの價格でしたが
一生忘れ得ない經驗に成ると思ひます。
此のウェブログを御覽のモダーンな御方は
一度は訪れるべき場所でせう。

モダン紳士もお樂しみの模樣。

「今夜またモダンガールに別な連れ」

とは、昭和5年の川柳。銀座の夜はかくて更けゆく、、、。


舞台は變はりまして、
知人の歌を聽きに夜會へ出掛けましたら
隣の初老男性が、ぢつと私を見つめて一言。

「あの晩、一緒にタンゴを踊りましたネ。」

私の頭には、ハテナマアクが一齊に飛び交ひまして

「いつのことでしたか知ら。」

美しい知人の歌聲を聽いてゐるうちにおぼろげ乍ら
想ひ出しました。嗚呼、私の記憶力の實に儚げなこと。

忘れられない女に成りたいワ、などと
云ひ乍ら私自身は「すぐに忘れてしまふ女」である
淺はかさ。思へば全ての出來事が私の目の前を
通り過ぎ、目の前にある光景だけが
今の私を動かしてゐるのです。

「まア あの時の。」

私の人生は、私が云ふ所
とてもドラマチックです。
其れはまア三流ドラマなのかもしれませんけれど。

會ひたい人とは確實に會へましたし、
今後、私が會ひたい方にも會へるのではないかと思ひます。

タンゴの「エルチョクロ」や「ジーラジーラ」を唄ふ彼女は
とても素的で、カフェーでの再會を約束して別れました。

誰が好きで誰と附き合つてゐる、と
云ふ樣なお話は今は誰にも一切しません。
若氣の至りで、彼是話してゐた時期も
有りましたが、今は有りません。
友人のノロケ話を聞くのは
面白いので、それは構ひません。

武士道(特に「葉隱」。)に多大な關心を持つ私は、
「忍ぶ戀」が尤も尊いと思つて居ります。
安易に口に出せる樣な想ひならば、其れは
(私にとつては)大した事ではないと思ふのです。

撮影:GR鷹/GR-TAKA氏

後半は、買ひ物のお話を幾つか致しませう。

隣町の吉祥寺は便利な町ですが、
機會がないとあまり訪れません。
或る夜、自轉車に突然乘りたくなつて、
吉祥寺まで自轉車で出掛けました。
驛から少し離れた所にある商店街には、
どちらかと云へば若者向けの店が竝んでゐて
大勢の人が行き交つてゐます。

其の商店街の一角に異質な空間が有りました。
骨董屋のやうな店先に
長い髭のお爺さんが薄暗いランプ下で
何やら古い皿を竝べて、座ってをりました。
其處だけが、何だか異空間のやうでした。

一度は自轉車で走り去つたのですが
氣に成つてもう一度戻りました。

小さな机の上には、明治、大正、
昭和のせとものや硝子が
竝んでゐました。私の他に
熱心に見てゐる客がもう一人をりました。
印判の皿が置かれた机の下に
昭和の初め頃の硝子製の
デザート皿
があつたので、贖入する事にしました。
七百圓ださうです。
お爺さんに千圓札を渡すと、
ポケットからお釣りを取り出すのですが、
硬貨が見えないのださうで、別の客が三百圓を確かめて
お釣りを貰ひました。
お爺さんのポケットには三百圓と十圓や壱圓などしか
ありませんでした。一枚賣れたので、大層喜んで
もう一つ皿をオマケに附けて呉れました。次にお客さんが來たら、
屹度お釣りを出せない事でせう。不思議な店でした。

何處から來たのかと聞かれたので、
隣の西荻だと答へると
そんなに遠い所をわざわざ、、、。
と、まるで十里も
離れた町から來たかのやうな
驚き方をするのでした。
吉祥寺のどの邊を走つて辿り着いたのか
あまり定かでなく、其の皿はあるけれど
夢ではないかしらん、と
思ふ樣な出來事でした。
吉祥寺だと思つてゐたのに、
實は遠くへ行つたのか知ら、と時々思ふのです。

近所の古道具店では赤坂離宮(現在の迎賓館)が
国立国会図書館だつた頃の
(昭和23年~昭和36年)絵葉書を偶然見つけました。


 

懐かしいと思はれる方もいらつしやるかもしれません。
平成の大改修前に、二度見學を致しましたが、
華麗な樣式美と
巧みな和洋折衷に壓倒されました。
今年は見學の応募が出來ませんでしたが、
またいつか訪れたいと思ひます。

別の古道具店では
大禮記念 博覽會號(アサヒグラフ臨時増刊)を
入手致しました。昭和3年の朝日新聞社發行です。

表紙
博覽會の樣子が、冩眞と共に記されて
面白いのですが、中に氣に成つた記事が有りました。
「餘興のいろいろ【一】」
と書かれた項目です。



「人間製造」

「新天地」の呼物「人間製造株式會社」の美人連で、
科學応用、巧みに美人を骸骨に變
じたり、
骸骨が女になつて踊り出すといふ奇拔なものです。


と、有ります。(一部漢字変換不可です。)中央の女性は如何にも
モダンガールなのですが、
「人間製造株式會社」とは一體、何ぞや。

本を賣つた店主と顔を見合はせ
思はずニヤリと笑つてしまひました。

色々な皆さん

本と云へば若林純著「謎の探検家 菅野力夫」と云ふ本が
青弓社より發賣され嬉しくて早速讀んで居ります。
初めて近所の本屋で菅野力夫の顏が
平積みされてゐた所を見た時、
コレ夢ではないかしら、と本氣で思ひました。
大學生の頃、骨董市で菅野力夫の葉書を見つけて以來
一體、此の御方はどの樣な人なのであらう?と
考へて居りました。



部屋に飾つてゐる大正時代の東京市外全圖。
白い探檢帽(ピスヘルメット)、
氷川丸や賀茂丸などの繪葉書、
沖繩漆器、
菅野力夫の第三回世界一周旅行の實況葉書、
渡航用革トランク等々
旅を想起させる物を色々飾り立て、私の
部屋は特に南國と繋がつて居ります。

思へば菅野力夫への憧れが原点にあると申しましても

過言では有りません。

加茂丸

さて、最寄驛近くには
マイロードと云ふ場末のやうな
高架下の商店街があるのですが、
其處の靴下店でバックライン
(バックシーム)のストッキング
を發見しました。

嗚呼、今まで新宿伊勢丹や專門店へ
わざわざ買ひに出掛けて居りましたが、
燈臺下暗し。
近所でも普通に取り扱つてゐるではないですか。

取り扱つてゐるバックラインは、
片倉と云ふ日本製なのですが、
此のラインの太さが當時物に近くて、
とても氣に入りました。
當時物のストッキングも試しに
何度か着用してみましたが、
片倉は、當時物に可也近いなと思ひます。
(以前、お祖母ちやんが納戸に仕舞つてゐた
バックシームを見つけた事も有ります。)
モダンガール諸姉はゼヒお試しあれ。
まとめ買ひならば通販もあると思ひます。
(あ、あのー。モダンガールぢやない趣味の人も、ど、どうぞ、、、。)

同じくマイロードにて、
椰子の觀葉植物が格安で賣つてゐたのを入手して
實用自轉車の荷臺に紐で括り附けて持ち歸りました。
自轉車で椰子の木を運ぶモガ(大きさは140センチはありました。)としては、
こんな時に知り合ひにあつたら恥づかしいだらうなと思つて
急いで歸らうとしてゐたら
「カ、カヨさん、、、。」と目を丸くした友人とばつたり
遭遇したので有りました。
そら驚くよなア。

はダンスシューズの裏が
革底に成つてゐるものを
重寶してをります。ヒールの形が
モダンガールの時代に近いのです。
(ダンスシューズで形が良くても、
底が金屬製の物は使へません。
何故なら街中を歩くだけでタップダンスのごとき
音が致しますので。)

状態が良いと思つて古着屋で靴を贖入したのは
良いのですが、後に大變な目に遭ふとは知る由も有りませんでした。

或る夜、某店にて數人と夜通し話をし乍ら飮んでゐた時に、
異變に氣がつきました。
革底が踵部分のみを殘して、見事に全部ベローと剥がれてしまつたのです。
皆さんと樂しく談笑し乍らも、(あれ?何かをかしい。)と
卓子の下の自分の足元を見ると片方の革底が取れてペタペタと成つてをりました。

ヘナヘナに成つた革底が床にペタンペタンと。

(こ、これは、、、。まづい。)と内心異常に焦りつつも
皆に悟られないやうに平靜さを保ちつつ
(嗚呼、どうしませう。)と一人葛藤してゐたのでありました。
何かテープで補強するしかないと、お店の人の所へこつそり
出掛けて、ガムテープを貰つて革底をくつつけました。
今思へば滅茶苦茶な行動なのですが、どうも
いかんせん醉つてゐたやうです。
然し、手元が狂ひガムテープが異常に目立つので
もうコレ笑ふしかないわ、と云ふ感じでした。
案の状、結局皆さんに曝露して一緒に
アッハッハーと笑ひました。

そして歸り際、もう空も明るくなり
同席の紳士がガムテープ靴を人目につかないやうに
自宅まで送り屆けて呉れたのでした。
優しい紳士がゐて助かりましたが、
古い靴を履く時は、状態にはくれぐれも注意しませう。
モガからの御願いです。

其のダンス靴は、これまたスターロードの
商店街の靴修理店で直して貰つたので
もう大丈夫です。椰子の木に、バックライン
ストッキングに、靴修理にと、「マイロード」利用率、異常に高し。

時々、當ウェブログを讀んで下さる方と初めてお會ひすると
何の仕事をしてゐるのでせう、と聞かれる事が
有ります。仕事のことを
話すのは苦手なので、餘り書く氣がないのですが
誤解を生みたくないので書きます。
自分で經營する會社ではないので
あまり詳しい事は書けませんが、今は
古書や古物全般に關はる仕事をして居ります。
昨年、轉職をしましたので生活が大きく變はりました。
其れまでも何度か轉職致しましたが、
今の仕事が尤も自分の趣味と實益にも
近く、轉職して良かつたなアと思ひます。私は
帝都で働く草の根の一般市民であり
一職業婦人ですので、其の點をご了承下さいませ。
ブルジョワでは全く有りませぬ。

そろそろ今週の(今月の?)
「週刊モガ」も〆に入りませう。

政治については尤も興味の有る分野なのですが、
今までは書かずに參りました。しかし如何とも
し難い状況に陷り、もう默つてゐられる
状態ではなくなりました。

選舉が近くなりました。
此の國をどうするのか最終的に
決めるのは、一人一人の責任です。
人任せにしたら、
確實に大變なことが起こります。

私は、北朝鮮に拉致された被害者や家族のことを
忘れる事は、決して有りません。
拉致被害者は「今、正に海で溺れてゐる」
状態であると云ふ事を忘れてはならず、
海で溺れてゐる人に對して、一刻の猶豫も許されません。

戰後日本は平和だつた、と念佛のやうに唱へる人々が
少なからず世の中に居りますが、
他國に大勢の日本人を拉致されてゐる状況下で
何が平和だ、と私は言ひたいです。

昨年の總選舉で私は民主党に
投票して居りませんし、今後も
支持する事は有り得ないでせう。
何故か?と思はれる方は、
民主党が、現首相がして來た事を
もつと知る必要が有ります。


6月初旬、法要で故郷へ參りました。
此の4箇月間で尤も學んだことは
此の世は、「無常」であると云ふ事です。
言葉では簡單に書けますが、其処へ至るまでに
乘り越えるべきことが多々あつて
やつと其處に思ひ至りました。


           
また今囘も勝手なる獨り言を書き連ねましたが
此處まで讀んで戴いて、誠に有難うございました。

今後は、長文を一氣に更新するよりも
短文でも囘數を多くして掲載したいものです。

それでは、また今夏、お目にかヽりませう。

御元氣で御過ごし下さいませ。  

撮影:GR鷹/GR-TAKA氏        ▲愛用の帽子

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         日本モダンガール協會 淺井カヨ

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自己紹介
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淺井カヨ
性別:
女性
自己紹介:
KayoAsai Official

一般社団法人
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淺井カヨ(あさゐかよ)の
公式ブログです。

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3月10日より

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