平成19年度 「大正時代まつり」にて筆者
連載第8回「週刊モガ」迷子散歩と心意氣
すつかり秋ですね。お元氣でせうか。
「大正村から戻りましたら、更新したく
思ひます。」と書いて、暫く更新がなかつたので
(彼奴は大正村に居ついて戻つて來ないのではないか。)
と、思はれたかも知れませんネ。
1階が展示で2階が立入禁止に成つてゐる
大正時代の大きな日本家屋の2階で
收藏品整理も行つてゐました。
2階の階段の上から下をひよいと覗いた時に
1階に偶然來てゐたお客さんと目が合ひ、
そのお客さんは、飛び上がりさうな
程びつくりして去つて行きました。
誰も居ない筈の大正建築の2階からいきなりモガらしき人が
顏を出したのだから、驚くだらうね・・・。
話は變はりますが、
公衆の化粧室には水を流す爲の
“センサア”なるものがあり、
「手で流したい時は
横のボタンを押して下さい」と
書かれた場所がたまにあります。
そこで、“センサア”を如何に反応させずに
ボタンを押せるか、と云ふ日々の闘いを
送つてゐる、淺井カヨがお送り致します。
★
北海道旅行の後は、
岐阜縣明智町の日本大正村と
名古屋へと向かひました。
今年は、大正村での「大正浪漫シンポジウム」
參加と今後の打ち合はせ、
收藏品整理等に重なつた爲、
柴又での大正ロマンコンテストは欠場致しました。
一昨年、昨年に續いて優勝を狙ひたい所でしたが、
今年は「大正浪漫シンポジウム」 を
優先させて頂きました。
またいつか機會があれば良いと思ひます。
その後、自宅へ戻つたら
“インタアネット”が繋がらなくなくなり、あわや廢刊!?の
危機に陥りましたが、御陰樣でやつと復活出來ました。
讀者が誰も居なくなつたら、この連載は終はります。
此れは自分の爲に書いてゐる文章ではありません。
私は、自分の爲には何一つ殘さない積りで
生きてゐます。
先日、帽子を友人宅へ忘れると云ふ
失態を犯して、意氣銷沈しました。
翌日に取りに行つて一件落着したのですが、
此の出來事は忘れないでせう。
帽子は 本當に大切なものです。
最早身體の一部と云つても
過言ではありません。
帽子を扱ふ時は、出來るだけ叮嚀に
保管に關しても細心の注意を拂はなければなりません。
「此れはモガ帽だ。」と認めた帽子は、
500圓であつても數萬圓であつても
同じ樣に大切に扱ひます。
むやみに人に被らせるのは言語道斷です。
同じことがハンドバックや自分の持ち歩く全ての物に
言へます。洋服も愛用の萬年筆も手に觸れてゐるものは
全てが私自身です。其れらを粗略に扱ふのは、
生きる事を抛棄する事と同じ位に考へます。
だから一つとして安つぽい物を買ふことは出來ません。
安い物と安つぽい物は大きく違ひます。
また、高い物と高級な物も意味が違ひます。
價値觀を決めるのは自分です。
活氣がないといけません。
袖に目をあてオヨヨと泣いてゐる女性ではありません。
戀をする事多々あれど、男性に振り回される事は
滅多にありません。心は強く、大らかです。
常に面白い事を探すことが出來る
空中線が必要です。
病は誰もが一つ以上は必ず持つてゐるものだと思ひます。
私は子供の頃から喘息と附き合つてゐます。 上記の他に
病氣を少しづつ克服していく爲の方法の一つとしても
「少し過酷な環境に慣れる遊び」を舉げ度いと思ひます。
★
自宅から少し離れた驛舎などに降り立ちます。
何處かへ出掛けた歸り道でも構ひません。
ひとけのある町が良いでせう。あまり自然の多い場所では
危險な爲、やらない方が賢明です。
徒歩で2~3時間位、地圖などを一切見ないで
感覺だけでひたすら歩き續けます。
進む方角は、向かうの方に面白さうな建物がある、
何となくあちらへ行つてみたい、と言ふ感覺だけで
進みます。
歩いていくうちに、どこを歩いてゐるのか
さつぱりわからなくなります。
わからなくなつてもそのまま進みます。
其れでも、面白さうな場所を見つけては其処を見て歩き
樂しみ乍ら散歩を續けていきます。
看板などはあまり見ないで、
最終目的地もなく歩く必要があります。
全く知らない街を歩き、たつた一人で軌道から外れて行く
感覚を味はうと、不安に成ると思ひます。
見える風景が確實に變はつて來ます。
見覺えのない町、誰一人として知つてゐる人がない町、
其の不安の中で、何も動じる事なく私は大丈夫、必ず戻れると
確信を持てる事が重要です。同時に樂しむことを
忘れてはいけません。
自分の體力等を考へて、或程度歩いたら
看板などを見て、驛舎やバス停留所など、
戻る方向を探し乍ら進んで行きます。
だんだんどこら邊を歩いてゐるのかわかるやうに成り
歸り道も見つかります。其処では少しホッとする事でせう。
自轉車で自宅から實行すれば、歸り道も含めて
長時間乘る事に成りますが
無理をしない程度でゆつくりやつてみると、度胸が附きます。
(車では絶對に出來ません。)
私はこの遊びを、「迷子散歩」と呼んでゐます。
何度かやつてみると、
どれだけ迷つても、
全く知らない場所に居ても 、
一人で不安に成つたりあせつたりする事がなくなります。
自分の行き度い方角に面白いものが
確實に見つかるやうに成つて來ます。
どの道を選んで行つたら
自分にとつて面白いものがあるかだんだんわかるやうに成ります。
また、どの道に進み度くないかもはつきりわかることでせう。
寄り道に多くの眞實が隱されてゐることもあります。
何に興味を持つかは人それぞれですから、
無數の道が存在します。
その日の體調、天候、氣分、澤山の要因に
よつて、同じ迷子散歩をする事は生涯に二度とないでせう。
目的地や目的を持つて、行きたい場所へ向かつてゐる時
人が見てゐる景色の半分は目的地に成つてゐます。
然し目的地のない散歩では、全ての感覺が
見える風景だけに注がれ、町と直接向き合ふことに
ならざるを得ない状況と成ります。何しろどこへ行くのかが
全く決まつてゐませんので、どちらが面白さうな道なのか
注意深く一つ一つを自分の感覺で見ていくしかないのです。
一體自分は知らない街でただ風景だけを見つめて
何をやつてゐるのか、と云ふ時に動じないでゐられる氣持ちと
緊張感の中で樂しみを見つけていける氣持ちを持つことが重要です。
偶にかう云ふ遊びをやつてみて下さい。
若し、常に目的地がなければ動けない、
そんな行動は時間が勿體無い、一人では寂しい、
と云ふ人がゐるのならば少しだけ耳を傾けて下さい。
人爲的であれ迷つた時に動じない、と云ふ
氣持ちを作るのは今後の人生に於いて
非常に重要であると考へてゐます。
また、何もない所から自分の樂しみや劇的なことを
生み出せないと 型に嵌つた繰り返しの生活に陷りやすく
なります。
目的地を持つて行動することは重要です。
其処には強く求める物があるのだと思ひます。
大半の時間が目的地へ進むことに費やされることも
わかります。然し、たまにかう云ふ無謀な遊びをやつて行くと
目的に外れても絶望しないで修正出來る
と云ふことを身體の何処かが覺へると思ひます。
★
必要なことは、
度胸、柔軟さ、活力、學習力、美意識、戰ふ意志と行動力、
他にもたくさんのことがあります。
日本、海外の
關係は不可缺です。海外の文化、世界情勢なども
知らうと努める必要があります。
大正時代に「モダンガール」と云ふ
言葉が生まれました。
男性本位ではない女性としての生き方を
命を賭けて摸索し行動した
先人達に感銘を受け、それを決して忘れ度くない、
敬意を拂ふ氣持ちで當時のモガの洋裝を
私は着用してゐます。
斷髮にすると云ふことだけでも、最初は
どれほど大變であつたか、今では想像を絶する世界です。
勿論、モダンガール獨特の
服飾、形態が優れていて
何よりも好きであると云ふ氣持ちも大きいのですが
其れ以上に、當時の或る女性達に尊敬の念を込めてゐると
云ふ氣持ちが大きいのです。
そんなことは私の中では當たり前の認識で、
現代に敢へてモガの裝ひで
いるのだから、周りは其れ位
わかつて呉れてゐるだらうと考へてゐました。
ある時其の話を友人にしたら、そんなことまで
考へてゐるとは全く知らなかつた、と驚かれ
吃驚したのです。 其の時に、考へを
文章にしておくべきだと私は思ひました。
物を言はずに、何かを傳へると云ふのは難しいものです。
私はモガの“コスプレ”に見えるのかもしれません。
所謂、“コスプレ”に違和感を覺えるのは、
日常生活と切り離してゐる樣に感じる事が多いからです。
周りに“コスプレ”を愛好してゐる方が居ないので
直接話を聞ける機會がないのですが、
若し其れが單なる變身願望や其の場だけを樂しむ一時の
逃避に過ぎないのなら、非常に勿體無いと思ひます。
自分は何に惹かれて、何が苦手か、
どんな時代や人に興味があつて、何を求めるのか、
其の爲に今の世の中をどう良くして行き度いか、
日本だけではなく世界中のあらゆる場所や時代を
想像と經驗の中でたつた一人で時間旅行をしなければなりません。
實際に世界中を自分の足で見て歩くことも重要ならば、
身近な事柄の中から見つけていくことも必要です。
たくさんの人や書物からの影響、自分が何に對して
心を開くのか、貪欲に邊りを見回します。
其の中で一番自分と自分が生きてゐる社會に必要なものは何か、
其処から導き出された答が一時的な意味での“コスプレ”であるとは
どうしても思へないのです。
私は一日本人女性として、あの混沌とした時代に
單なる海外の物眞似やコンプレックスからではなく
和洋折衷へと昇華して獨自の文化を作り、
現代の礎を作つた日本のモガを、今の時代に
もう一度見直すべきだと思つて居ります。
混同されない樣に
注意して戴き度いのは、戰前のモダンガールは、
戰後のウーマンリブ運動とは全く性質が異なると云ふことです。
特に戰後の亞米利加のウーマンリブ運動には、
家族の崩潰、教育の破壞など、
“女性の自立”と云う名目を利用した
ある大きな組織の意図するものが
絡んで居ります。
其の話に關しては、詳しくは述べませんが
考へて戴き度い問題の一つであります。
それぞれが色々な考へを持つことが重要で、
繩文時代を見直せと云ふ人が居てもおかしくはありませんし、
江戸時代の良い部分を見直さうと云ふ方も居らつしやるかと
思ひます。個々に澤山の深い考へがあれば世の中はより面白く
なると思ひます。
取りとめもない話が續いて行きましたが、
今週の「週刊モガ」は、このまま混沌とした中で
終はろうと思ひます。
大正時代裝束での行列、出店など色々な企劃が
目白押しです。今年も私は自前衣裝で出場しますので
お時間のある方は是非遊びにいらして下さい。
若し私を見かけたら「週刊モガを見た。」と伝へて
呉れたら何より嬉しいです。
詳細は追つて公表します。
今年は私と友人がポスターに成りますので、
近い内に畫像も公表します。
樂しみにして下さいね。
それでは、ごきげんよう。
ありがたうございました。